吉田秀雄先生のエッセイで、地方オーケストラ(嫌な言葉ですが、原文ママ)を扱ったものがあります。九響と札響について述べたもので、戸沢宗雄さん(N響→日フィル→札響、ファゴットの名手)について触れているので、1970年台後半でしょうか。文末で「山は高きがゆえに尊いのではない」と地方オケの健闘を讃えていますが、在京オケとは演奏能力に差があることを前提とした文章であったように記憶しています。当時はそうだったのでしょう。
しかし時代は大きく変わり、いまや九響、広響、名フィル、仙台フィル、札響といったあたりの演奏能力は在京オケに比べて遜色ないところまで来ました。留学帰りの若い優秀な奏者も珍しくはありません。名フィルも音響の優れたホール(愛知県芸術劇場)に恵まれたこともあり、この10年程で大きく伸びたことは好楽家がひとしく認めるところです。
そんな名フィルが1年ぶりに東京で演奏会を催すということで、寒風吹きすさぶカラヤン広場を横切ってサントリーホールへ。
曲目は前半にモーツアルトの交響曲第31番パリと、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」。後半はチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」。指揮は音楽監督の小泉和裕さん。ソリストには期待の若手、小林海都さんが起用されました。
モーツアルト:交響曲第31番「パリ」
この曲はモーツアルトがパリの聴衆に一発喰らわせるために書いたものであるだけに、下手な指揮者が振ると騒がしいだけで終わってしまいます。昨年も…(以下略)
さすが小泉マエストロ、快速テンポで飛ばしながら名フィルの優れた合奏能力を披露。とりわけ中、低音弦楽器群の健闘が光りました。「ピリオド奏法って何?」という重心の低い名演。「氷上を疾走する重戦車」と例えられた師匠であるカラヤン/ベルリン・フィルの演奏を思い出しました。
ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」
ソリストとして予定されていたアンドレイ・コロベイニコフがコロナ禍により来日不能となり、小林海都さんが代演。1995年生まれの26歳。「若武者」感が横溢した、颯爽たる演奏でした。技巧的にはもちろん卓越しているので、代演としては十二分の演奏であったと思います。今後が楽しみです。
ただ、やや単調であったと感じました。であるからこそ、あの第18変奏で、小泉マエストロが過剰とも思われるほどの濃厚な色彩を付けたのだなと。管楽器との掛け合いの場面でも、管が一方的に合わせるという状況であったのでは。
ところが twitter を覗いてみたら小林さんへの絶賛で溢れていて、びっくり。私の耳が悪いのか、心が狭いのか…(両方かもしれませんが。)
私の好みは、円熟したヴィルトゥオーゾがオケと渡り合うという趣のもの。そんな演奏あるんかい!という方は、ロシアの巨匠、シェーラ・チェルカスキーの音源をお試しください。伴奏は巨匠ルドルフ・ケンぺ指揮のミュンヘンフィル。伴奏も呆れるほど上手い。1972年1月23日のライブです。この音源は中古屋で探す価値があるかと思います。
チャイコフスキー:交響曲第1番「冬の日の幻想」
この曲が演奏会のプログラムに取り上げられるようになったのは、キリル・コンドラシン/N響が嚆矢ではないでしょうか。1980年のことです。実際、1〜3番の中では、一番わかりやすいように思います。ちなみにカラヤンはチャイコフスキーの交響曲全集を3回(4回?)完成させていますが、1〜3番の実演の記録は無いのだそうです。
東京では昨年、小林研一郎さんが傘寿記念のツィクルスで演奏されましたが、今回は両巨匠の芸風の違いを反映し、だいぶ趣の異なる演奏となりました。
チャイコフスキーにとって最初の交響曲なのに、こんなにしっかり書かれているのかと感心させる、緻密な演奏でした。各楽章に表題が付いているのですけれど、それには引っ張られず、純音楽的な演奏であったように私には感じられました。硬質な響き。この曲の存在価値を再認識させる、大名演であったと思います。
オケについて
名フィル、上手いです。今回のプログラムでは、小泉さんの解釈にもよるところが大なのですが、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの合奏能力の高さが際立ちましたね。
木管では九響から客演のオーボエ佐藤太一さんの美音!それにもまして素晴らしかったのはクラリネットのボルショスさんと、ファゴットのシャシコフさん。技巧はもちろんですが、音色の使い分け、そして音楽性が素晴らしい。
チャイコフスキーでは安土さん率いるホルン隊も素晴らしかったです。とくに第二楽章。霧が晴れて雄大な山並みが現れるような響きには痺れました。
心に残る演奏会でした。コロナによる50%制限になってしまったのが本当にもったいない。