「自分が継ぎたい」と「継ぐ人」が宣言したその時から、承継への本格的な準備がスタートします。前回(第三章第二節の後半)では、「継ぐ人」が自分の頭で何をすべきかをまず考え、「譲る人」はその自主性を尊重しながらサポートするべきとご案内しました。
今回は「継ぐ人」が継ぐ会社に入るまでの期間を扱います。大きく二つに分けると、
・社会に出るまで
・社会人になってから継ぐ会社に入るまで
となります。1)はサラッと扱いますが、2)については、私は「他人の飯」が非常に重要であると考えていますので、紙幅を使ってじっくりご説明いたします。
第一節 社会に出るまで
言い換えれば学校にいる間、ということになります。この期間は、自分が必要だと考える準備を粛々とこなしていくということでよいかと思います。過度に思いつめて、家業に必要なことしかしない、というのはおすすめできません。
この時期は普通の若者として、好奇心のおもむくままに視野を広げることが大切です。サークルなどでのリーダーシップの経験が、のちのち役に立ったと回想する方も多くおられます。
家業が伝統的な技芸であって、当主が職人を束ねることが期待されるような場合には、ちょっと事情が異なります。こういう場合には、「譲る人」の指導の下で研鑽を積むことが最優先となるでしょう。
第二節 社会人になってから継ぐ会社に入るまで〜「他所の飯を食う」ことの大切さ
「ファミリービジネスを継ぐ人って、学校を出たらすぐに家業に入るんじゃないんですか?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかと思います。実際、ファミリービジネスの経営者の中には、寄り道せずに家業に入るべき、という意見の方もおられます。
しかし、私は声を大にして申します。家業にまっすぐ入らず、他の会社を経験すべきです。そう、家業を承継する上で、「継ぐ人」が「他所の飯の飯を食う」ことは、きわめて大切なのです。
ということで、以下の3点についてご説明いたしましょう。
1)「他所の飯を食う」ことの意義
2)「他所」とはどこか?
3) 期間はいつまで?
1)「他所の飯を食う」ことの意義
他人に使われるという経験
まず申し上げたいのは、他人に使われることを経験することは、自分が人を使う立場になったときにきわめて有意義だということです。
それなら継ぐ会社にヒラ社員として入ればよいのでは、という反論もあり得ますが、それはファミリービジネスというものを知らない人の意見です。
いかにヒラ社員として入ってきたとしても、上司は彼が当主の息子あるいは娘であることを意識しないわけにはいきません。当主が「他の社員と分け隔てすることなく扱ってくれ」と命じたとして、それを真に受ける上司はいないでしょう。「継ぐ人」をビシビシ鍛える、というわけにはなかなかいかないはずです。
そうするとどうなるか。「譲る人」にまったくその気がなくても、「継ぐ人」は甘やかされてしまうのです。少なくとも、キツイ仕事、嫌な仕事が回ってくる確率は低くなるでしょうね。
露骨にちやほやされない場合には、逆にちょっと距離を置かれるはずです。「継ぐ人」に対して語ることが「譲る人」に筒抜けになるのではと危惧され、微妙な話の輪には入れてもらえなくなるでしょう。
つまり、継ぐべき会社に新入社員として入る場合には、他人に使われるということがどういうことなのかを体得することはできない、ということです。他人に使われる悲哀(?)を知るためには、継ぐべき会社の外で社会人としてスタートする必要があります。
「やり過ごし」を理解する
「他所の飯を食う」ことには、もう一つ大きな意義があります。それは、「やり過ごし」の意義を理解することです。このことが指摘されることはまず無いのですが、ファミリービジネスに於いて、私は重要だと考えています。
さて、「やり過ごし」とは何でしょうか。それは、部下が上司の指示を振るいにかけ、手をつけない方が良いと思われる仕事を先送りすることです。東京大学の高橋伸夫先生が「できる社員は『やり過ごす』」という素晴らしい本を書かれておられますので、そこから引用してみましょう。
いち経営学者としての率直な感想をいわせて貰えば、「やり過ごし」「尻ぬぐい」などという一見、しょうもない現象にこそ、調子のよい日本企業のほんとうの強さの秘密がかくされていると確信している。(p8)
(仕事がオーバーロードな状況では)上司の指示命令のすべてに応えることは不可能である。それでは部下はどうしているのか。ここで登場するのが「やり過ごし」である。部下は上司の指示・命令を上手にやり過ごすことで、時間と労力を節約し、日常の業務をこなしている。つまり、やり過ごすことによって、少なくともルーチンの必要な仕事は滞ることなくすすめられるわけだ。(p22)
うまくやり過ごしができるようにならなければ優秀な上司にはなれないのだ。(p32)
「できる社員は『やり過ごす』」高橋伸夫著
私は日本郵船という伝統的な会社で、それなりに将来を期待される若手社員として過ごした経験がありますが、この指摘には膝を打つ思いがします。そして、いま思うのは、ファミリービジネスで仕事をするためには、この「やり過ごす力」が一層求められるだろう、ということです。
なぜか。それは、ファミリービジネスの場合、一般の会社に比べて、当主の「思いつき」が会社の推進力となっている場合が多いからです。
当主は起きても寝ても家業のことを考えているので、いろいろなことを思いついてしまい(笑)、指示を出します。その指示のすべてに対応していたら大変なことになるわけですが、ファミリービジネスでは長い付き合いによって当主の性格をのみこんでいる社員たちが、重要と思われる指示以外をやり過ごして仕事を進めていくわけです。
さて、実社会経験のない「継ぐ人」がこの情景を見た場合にどう反応するでしょうか。真面目な性格であればあるほど、社員たちがさぼっていると判断してしまうおそれがあります。「ちゃんと会社のことを考えているのは当主だけなんだな」と慨嘆するくらいでとどまればよいのですが、憤慨して当主に駆け込んだりすると、ことは面倒になります。
もし、やり過ごしがきびしくとがめられるようになったら、仕事の量がやたらに増えたり、上司の指示・命令が現場の実情にあわなかった時には、組織は完全にロックしてしまう。つまり、まったく動かなくなってしまうのだ。(p27)
「できる社員は『やり過ごす』」高橋伸夫著
他社で自らも「やり過ごす」経験を積んでいれば、こんな困ったことにはならないでしょう。むしろ誰がうまく「やり過ごし」ているのか周囲を観察して、人材を見出すことができるかもしれません。
2)「他所」とはどこか
よく聞く事例は、「譲る人」の伝手で関連業界の会社に預けられるというもの。取引のある商社が引き受けることもあるようですね。継ぐべき会社にまっすぐ入るよりはだいぶましなのですが、私はこのような方法には賛成しません。
私のおすすめは、「継ぐ人」が自分自身で探して、まったく関係ない業界に入る、というものです。
自分自身で探す
「就活」はたいへんですけれど、間違いなく社会勉強になります。様々な業界を覗いてみることのできる、得難い機会ですから。このチャンスを逃すのはもったいないでしょう。
また、自分で就活に苦労してみると、将来、自分が継ぐ会社を企業訪問してくれる若者たちの気持ちがよくわかるようになるでしょう。ひょっとすると会社のアピールポイントを見つけることができるかもしれません。
まったく関係ない業界に入る
そのそも「他所の飯を食う」以上、親の七光りが届かないところに行かないと、意味がありません。言葉は悪いけれど、「お客さん扱い」される環境下では、学びは少ないと考えるべきです。
取引のある商社が引き受けてくれた上に、海外駐在に出して箔をつけてくれるという事例もありますが、それは大きな借りを作っているのと同じです。
実際、とある二代目の経営者の方は、就職に際して取引先であり、資本提携の相手である大手商社にお世話になりました。国内で3年ほど過ごしたのち、ロサンゼルス勤務に。そこで1年ほど過ごした後、帰国して家業に入社。その後、その会社の役員には大手商社からの派遣が相次ぐようになり、二代目は社長にこそなれたものの、経営の実権はその商社が握るようになりました。そして最後には社長から会長に棚上げされ、後任社長には商社から派遣された方が就任。その会社はファミリービジネスではなくなってしまいました。もちろん、脱ファミリービジネスが、二代目の隠れた意図であった可能性はありますが…
前回ご紹介したジャパネットたかたの2代目、高田旭人社長は、このように述べておられます。
大学卒業後に野村證券に入社して営業を志望したのも、同じ理由(「社長の息子だからコネで入った」と思われるのが嫌だったから)です。父の会社は家電をテレビ通販で売っていますから、メーカーや放送局に就職したら、コネ入社だと思われるのではないか。だから、ジャパネットの事業と直接の関わりがない証券業界を選びました。(p26)
「ジャパネットの経営」高田旭人著
この気概、いいですね。
3) 期間はいつまで?
私の答えは二本立てです。理想的には、部下を持つに至るまで。おそらくは10年くらいでしょうか。ただ、「譲る人」側の事情でそこまでは待てないという場合には、3年。その中間は、あまり意味が無いと考えています。
部下を持つまで
なぜ理想的であるかというと、親の七光りの無いところで部下を率いるポジションまで経験することは、継ぐ会社に戻った後に圧倒的にプラスであるからです。継ぐ会社に戻ってからは、部下をマネージするにあたって、どこまで自分の実力でそれが出来ているのか、正直なところわからないのではないでしょうか。部下たちは「継ぐ人」の背後に「譲る人」の姿を意識しながら仕事をせざるを得ないからです。
私が存じ上げている経営者は、15代続いた作り酒屋の長男として誕生されました。とても優秀だったので、京都大学に入って大学院まで進み、大手電機メーカーに入社し、半導体の開発に従事。30代の後半にあらためて家業を継ぐことを決意し、経営を学ぶという意図で外資系コンサルティング会社を経由したのちに、42歳で家業に戻られました。社長になって過去を振り返ってみて、何よりも役に立ったのは研究所のプロジェクトリーダーとしてチームを率いた経験であったとのことです。
待てないなら3年
「他所の飯を食う」期間は、長ければよいというわけではありません。10年近い期間は長すぎるという場合には、私は3年間をおすすめしています。
会社勤めを経験された方なら同意していただけると思うのですが、一つの部署に3年いると、だいたいの仕事の内容はわかってしまうものです。新入社員で入った場合でも、いわゆる社会人の基本動作を身につけるのには、3年あれば十分でしょう。そして、3年あれば、他人に使われるのはどういうことなのか、よくわかるはずです。
部下を持つようになると、「使われる」だけでなく、「使う」経験が得られるわけですが、これにはもう少し時間がかかります。それだけ待てないのであれば、期間を3年で切って、家業に戻るという選択肢をとるべきかと思います。
家業が伝統技芸的な場合
最後に、家業が伝統技芸であって、当主が職人を束ねる立場である場合についてひとこと。
さすがにこういう場合には、まったく関係ない業界で修行するというのは難しいでしょう。しかし、それでも私は「他所の飯を食う」ことは大切であると申し上げます。前々回にご紹介した老舗「平八茶屋」の二十代目に、援護射撃していただきますね。
平八茶屋以外のお店で修行することなしに、後継者をすぐに平八茶屋の調理場に立たせても絶対に長続きしません。上の者から何をされても、何を言われても、グッと耐えて我慢する、努力するための心をつくることが修行の目的でした。
父と吉岡氏(父の友人)が考えた修行は、技術の修得ではありませんでした。いわゆる「他人の飯を食う」ことの大切さを知ること、これが最も大切な修行だったのです。「他人の飯を食う」ことで、老舗のぼんという甘えをなくし、ものを習得するための心を整えることができました。(p94)
「京料理人、四百四十年の手間」園部平八著
さて次回は、「継ぐ人」が継ぐべき会社に入った後どうすべきかをご案内する予定でしたが、ちょっと脇道にそれて、「継ぐ人」を選び、育てるにあたって兄弟姉妹をどのように扱うべきか、についてご説明いたします。このテーマは意外に難しくて、近年ですとロッテが反面教師的な事例になるかと思います。ここでも私が申し上げることは「通説」とは異なるのですが、それはそれとしてご期待いただけると嬉しいです。