第二章 「継ぐ人」の育て方〜第四節 兄弟姉妹をどうするか

「ファミリービジネス」というくらいですから、兄弟姉妹仲良く、が理想であることは間違いないでしょう。しかし、現実は必ずしもうまく行くとは限りません。

お隣の国では十大財閥のうちの六家で「骨肉の争い」が生じているとのこと。(*1) わが国ではそこまでひどくないとは思いますが、一澤帆布事件あたりが思い出されるところです。

大半のケースでは相続の際に揉めるのですが、その原因は「継ぐ人」を育てる過程での失敗によるところが大きいというのが私の見立てです。

そこで今回は、後継者の育成に際して、兄弟姉妹をどのように扱うべきかについて考えてみることといたします。

 

*1:ハンギョレ新聞日本語ウェブサイト「[ニュース分析]韓国10大グループのうち6つで骨肉の争い」2015年7月29日

気をつけなければいけないポイントは、つぎの4つです。

1)兄弟姉妹の間での序列をきっちり定める

2)そのことを関係者に対して明確に告げる

3)長子が「継ぐ人」から降りたら、そのあとは意欲を重視して決める

4)代々続くファミリービジネスを目指すのであれば、ルールを定める

圧倒的に重要なのは(1)です。以下、順を追ってご説明します。

1)兄弟姉妹の間での序列をきっちり定める

私は男女を問わず長子を「継ぐ人」(後継者)として定めるべきという立場ですが、その際に、弟、妹をファミリービジネスに参加させることは、原則としておすすめしていません。

もちろん、家族総動員でないと商売が回らないというような場合は仕方ないでしょう。しかし、社員数がある程度以上(50人を目安に考えていますが)には、長子のみが家業に入るようにするべきです。なぜかというと、兄弟の争いが社内に分断をもたらすリスクがあるからです。

そうは言っても、兄弟姉妹が助け合い、支え合って成果をあげているファミリービジネスもたくさんあることは事実です。そのような成功事例に共通しているのは、兄弟姉妹の序列がきっちりと定まっていること。この点を曖昧にしたままでうまく行っている事例を、私は知りません。つまり、兄弟間での序列を明確化することは決定的に重要なのです。

さらに言えば、兄弟姉妹を互いに競わせた上で後継者を選ぶのは、愚の骨頂です。

伝統的なファミリービジネスでこの種の争いが起きることはほとんどありませんが、歴史が浅い場合には発生することがあります。のちほど事例としてご紹介しますが、ロッテの兄弟抗争はその典型例であると私は考えています。

2)そのことを関係者に対して明確に告げる

いくら兄弟間で序列が決まっていても、関係者、とりわけ社員が知らないのでは何の意味もありません。「継ぐ人」の弟、妹を入社させる際には、後継者候補として入社させるのではないことをはっきりさせなければなりません。

3)長子が「継ぐ人」から降りたら、そのあとは意欲を重視して決める

せっかく育ててきた長子が、なんらかの理由で継ぐことを放棄したり、あるいは事故などで継ぐことが不可能になった場合、どうしたらよいのでしょうか。

その次に控えている第二子が継ぐというのが自然な流れかもしれませんが、もし第二子を含めて複数の子どもがいる場合には、「継ぎたい」という意欲の強さと質を見極めて、「譲る人」が決定するのがよいというのが私の意見です。

能力はどうなのか? という疑問があろうかと思います。しかし、この段階での「能力」とは何かということも考えなければなりません。学校の成績は、それは良いにこしたことはないけれど、それで後継者を決めるということにはならないでしょう。

また、「意欲」と申しましたが、「俺が俺が」ということでは困ります。家業を承継する上での使命感に基づくものであってほしい。それが意欲の「質」です。

長子以外の子どもの中から「継ぐ人」を決めたら、長子が家業に関与することを厳しく禁止すべきです。曖昧な形で家業の中に残すのではなく、家業以外の道を歩んでもらわなければなりません。のちに相続が発生する場合には、家業の株式ではなく、現預金などを分け与えるべきです。そうしないと、将来に禍根を残すことになりかねません。

4)代々続くファミリービジネスを目指すのであれば、ルールを定める

先ほど、私が「継ぐ人」の兄弟姉妹を家業に入れることをおすすめしないと申し上げました。兄弟間の争いが社内に分断をもたらすリスクがあるということ以外に、もうひとつ理由があります。それは、代を重ねるに従って社内にファミリーメンバーがどんどん増えてしまう、ということです。

事業が発展するに従って社員の数も増えるでしょうけれど、創業家の親戚が社内にウヨウヨしているとなると、優秀な人材の採用は難しくなります。

また、親戚間でのトラブルがそのまま社内の揉め事に発展してしまうこともありうるわけで、それはどう考えても望ましい状況とは言えません。

長く続いているファミリービジネスは、何らかの形でルールを定めています。有名なのはキッコーマン。

創業家が8家あるなかで、各家からキッコーマンに入社できるのは1世代につき1人に限る。しかし役員になれる保証はしない。

ファミリービジネスとして長く続けることを目指すのであれば、この種のルールを定めることは必須と言えるでしょう。

さらに一歩進めて、創業家から派生するファミリーメンバーが守るべきルールや規範を包括して「家族憲章」にまとめるというやり方もあります。これは日本に比べて資本と経営の分離が進んでいるヨーロッパで始まった方法で、日本では広島のオタフクソースが先進事例です。

オタフクソースの事例について詳しく知りたい方は、「星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書」日経BP社の中での、星野さんとオタフクホールディングス社長(当時)の佐々木茂喜さんの対談をお読みになることをお勧めします。

反面教師としての、ロッテの事例

2015年に端を発し、のちに法廷闘争にまで発展したロッテの「お家騒動」。創業者からの事業承継をめぐって弟が兄を、さらには父である創業者をも会社から追放するという激しさで、日韓両国で大きく報道されました。

この「お家騒動」については、「経営者交代〜ロッテ創業者はなぜ失敗したのか」松崎隆司著が詳しく論じています。著者は創業者に近い立場の人で、兄弟闘争では敗北した兄に強いシンパシーを抱いているため、その点を割り引く必要があるのですけれど、この本からの引用を交えつつ、何がいけなかったのかを考えてみましょう。

創業者である重光武雄氏は二人の息子に恵まれました。長男宏之氏、次男明夫氏。二人は1歳違い。兄は三菱商事、弟は野村證券を経てロッテに入社し、2009年の時点では、二人ともロッテホールディングス取締役副会長として対等な立場にありました。役割分担は、長男が日本、次男が韓国というもの。

創業者はもともと長男を後継者として考えていたと松崎氏は推測しています。

そもそも武雄は、長子相続を当たり前のことと考え、実際、長男の宏之を可愛がった。表向きは、武雄は事あるごとに宏之と喧嘩していた。共に頑固者で一歩も退かない。しかし側近たちによると、「お前のような奴はクビだ」という武雄の決まり文句も、息子や側近以外には使われなかったという。

「経営者交代」p248

しかし、創業者は長男に自分の意図を伝えませんでした。もちろん、次男にも告げていません。

父親が創業した会社に入社するにあたっても、宏之によれば、それは「なんとなく父の仕事を手伝ったり応援したりする」ことであり、自身がロッテグループの後継者になるべく迎えられたという自覚などはまったくなかったという。

 

同書 p72

二人の後継者の教育係として関わった管理担当常務の松尾守人は、父から「お前が後継者なのだ」と明確に告げられない宏之の心情を察しつつ、「社長はあなたを本気で次の社長にしようと思っているのですよ」と何度も伝えていた。すると宏之が「ビックリしたような顔」をしたとも語ったが、それはとりもなおさず、武雄が後継者本人にさえ後継の意向を明言していなかったことにほかならない。

 

同書 p252

創業者は、経営幹部にも、後継者についての方針を語ることはありませんでした。

(側近が)「後継人事についてはどう考えていらっしゃるのですか」と問うと、武雄は「私がしっかりやっているから心配するな」と、それ以上は語ろうとしなかった。

 

同書 p56

2011年、90歳を迎えた創業者は「統括会長」に就任。依然としてロッテに君臨し、後継者を明確化することはしませんでした。この間に兄弟の関係は徐々に悪化し、2015年1月に、弟が先手を打ちました。

会議の席上で激昂した創業者が宏之氏に対して「お前はクビだ」と叫んだことをとらえ、宏之氏をロッテHD副会長から解任したのです。

失意の兄は創業者に訴えて巻き返し、7月には創業者が、弟を含むロッテHD取締役全員の解任を宣言。しかし弟は翌日にロッテHD臨時取締役会を開き、創業者の代表権を剥奪して名誉会長へ棚上げするという思い切った行動に出ます。創業者と宏之氏はプロキシファイトに持ち込みましたが、日本の従業員持株会が弟側についたことが決定打となり、8月のロッテHD臨時株主総会で弟、昭夫氏が代表取締役会長に就任することとなり、創業者と兄の敗北が確定しました。2017年には創業者はロッテグループ企業すべての取締役から外れ、2020年1月に98歳で死去しました。寂しい最晩年であったと伝えられています。

弟は2020年にロッテHDの社長も兼務し、同年に長男を日本ロッテに入社させました。兄は2021年に弟をロッテHDの取締役から解任することを求めた訴訟で敗訴。弟、昭夫氏はロッテの経営を完全に掌握したとみるべきでしょう。

さて、このロッテの事例、失敗の要因は明々白々です。

1)誰を後継者にするのか定めなかった。

松崎氏は、創業者は最初から兄、宏之氏を後継者と考えていたと推測していますが、宏之氏が後継指名を受けることはありませんでした。創業者は側近に対しても心中を明らかにしていません。

2)兄と弟の間に序列を定めず、同格に処遇した。

このため社内は兄派と弟派に分かれて争うことになってしまいました。

3)承継のタイミングが遅すぎた

後の章で詳しくご説明しますが、私は事業承継のタイミングについては、3年経って承継に失敗したと判断した際に「譲る人」が経営に戻ることができる年齢を目安にすることをお勧めしています。仮に65歳からでも社長として復帰できると考えるのであれば、3年前の62歳の時に「継ぐ人」に経営を譲り、3年様子をみるのです。

一般に創業経営者からの事業承継のタイミングは遅れるものですが、このロッテの場合はほとんど問題外のひどさです。どんなに遅くとも、創業者が90歳で「統括会長」に退く前のタイミングで承継すべきであったでしょう。

もうひとつの要因

1から3の背景には創業者のエゴがあったことは間違いないのですが、私はもうひとつの原因があったのでは、と推測しています。創業者には、兄と弟を互いに競わせることで成長させようという意図があり、それが裏目に出てしまったのではないか、と。さらに、その競争の副産物として、兄と弟は自らが優位に立つために創業者の歓心を得ることに注力するようになり、それがまた創業者には心地よかったのではないでしょうか。

さて次回は「継ぐ人」を継ぐべき会社に入れる際に気を付けるべきポイントについてご説明いたします。ようやく第三章に入ることになります。これまでは「譲る人」がどうすべきかについて力点を置いてきましたが、これからは「継ぐ人」の立場にも目配りして進めます。ご期待ください。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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