第四章 第二節 なぜ難しいのか〜譲る人の場合

前回は、「譲る人」が会長になり、社長となった「継ぐ人」と並走する期間の中での、「継ぐ人」にとっての難しさについてご説明しました。今回は「譲る人」にとっての難しさについてご案内します。

難しさには二つの側面がある

ひとつは、経営を継承する上での難しさ。「継ぐ人」を育てる上での、最後の仕上げの難しさ、と言い換えてもよいかもしれません。この過程では一見すると些細なことが大きな妨げになりがちで、細心の注意をはらわなければなりません。このあたりについては、「第四節 細かいけれど、とても大切なこと」で解説いたします。ただ、ここでの難しさについては大半の「譲る人」は十分に自覚しています。ですので、たいへんではありますが、乗り越えることが可能です。

もうひとつは「譲る人」が経営から退くことの難しさ。これが曲者です。「並走期間」は「譲る人」が退くための準備期間でもあるのです。「譲る人」は、このことをしっかりと肝に銘じておく必要があります。「並走期間」が終わってから退く準備を始める方が多いのですが、それでは遅すぎます。退くことは、たいへん難しく、周到な準備が必要なのです。

ところで、この「並走期間」の長さについては、次の第三節で詳しく述べますが、私は3年間が理想的であると考えています。しかし世の中を眺めると、もっと長引いているケースの方が多いことにお気づきかと思います。ファミリービジネスの世界では、「譲る人」が亡くなるまで会長をつとめていたという事例すら、珍しくはありません。

なぜ退くことが難しいのか

やめたくない経営者

本題に入る前に、「やめたくない経営者」について触れておきましょう。ええ、おられるんです、こういう方が。前回と重複しますが、YKKの相談役に退かれた吉田忠裕さんが、ヤシカの創業者である牛山善政氏について、次のように語っておられます。

入社前にヤシカの創業者である牛山善政氏に会う機会があり、こんな話を聞いた。「苦労して創業した会社は誰にも渡したくない。息子であってもだ。譲るくらいなら、消してしまいたいと考えるほどだよ。」創業者の思いとはそういうものか、と深く心に残った。(日経「私の履歴書」2023年4月7日)

ファミリービジネスに於いて、当代の経営者がやめたくないと頑張るとき、正直言って打ち手はほとんどありません。残念ですが、放っておく以外、どうしようもありません。

こうした経営者がいわゆる「老害」に陥り、会社が危機に瀕した場合、「継ぐ人」の立場にある人が取りうる手段は、クーデター(会社法的には、取締役会による解任)しかありません。

前出のヤシカの牛山氏は、経営破綻後、解任されてヤシカを離れました。ロッテの事例はいろいろな要素が絡んで複雑なのですが、90歳を超えてなお経営の実権に固執した創業者(重光武雄氏)が、次男(重光昭夫氏)に解任されています。

退けない理由

やめたくない人を除けば、多くの経営者は退かなければならないと頭ではわかっています。にもかかわらず、なぜ退けないのでしょうか。私が見るところ、理由は3つあります。

1)まだ「継ぐ人」には任せられない

2)退いたあと、自分が何をしたらよいのかわからない

3)自分が忘れられていくのが嫌だ

1)まだ「継ぐ人」には任せられない

親にとって、いくつになっても子供は子供、ですので、「継ぐ人」のことを心配するのは理解できます。しかし、この心配には終わりがありません。どこかで踏ん切りをつける必要があります。私は、先ほど申し上げたとおり、3年の間に踏ん切りをつけるのが理想であると考えています。

しかし実務者としての20年に及ぶ経験の中で、「3年を目処に会社から退いてください」と申し上げて、すんなりと受けとめてくださった方は、今までお一人だけでした。ほとんどの場合には、濃淡はありますが、感情的に難色を示されます。かといって、あからさまに否定される方は少ないのです。みなさん、できれば早く退かなければならないことを、頭ではわかっておられるということなのでしょう。そこで受ける質問がこれです。「経営にあれこれ口を出さず、会社に残るのであれば良いのでは?」 いわば「精神的支柱」として会社に残るということですね。お気持ちはわかりますが、私は賛成できません。

まずもって、会社として精神的支柱が必要だということは、社長である「継ぐ人」が社内を掌握しきれていないことを意味します。つまり社員が「会長がいないとこの会社はダメなんだ」と思っているということですね。こういう状況では、いくら「譲る人」が口を出さないつもりでいても、社員がお伺いを立てに来てしまい、意図せずして会長が経営に介入することになってしまいます。その結果、二重統治構造が生じてしまい、それは「継ぐ人」にとってマイナス以外の何ものでもありません。

そもそも会長の後ろ盾と介入なくして社長が機能しないとすれば、それは「継ぐ人」の人選を誤ったということです。もしそんな状態が続き、改善の兆しが見られないのだとすれば、社長を解任して「譲る人」が復帰すべきです。そういう万が一の事態に備えるためにも、早めに(「譲る人」が元気なうちに)並走期間に入ることを私はおすすめしています。

また、「経営に口を出さない」と宣言しているとしても、「譲る人」が会長としていつまでも会社に残っていることは社員の負担になります。なぜなら、経営情報を報告する手間がダブルになるからです。会長である以上、社員としては経営情報を報告しないわけにはいきません。経営情報を取捨選択することは社員の立場ではできません。叱責されることを恐れるからです。その結果、社長と同じ経営情報を会長にも報告せざるを得なくなります。

「継ぐ人」が相談相手として「譲る人」に頼りたいと願うことを否定するわけではありません。ただそれは、並走期間を終えた後に、会長ー社長という公式な関係性ではなく、親子という私的な関係で行えば良いことです。

2)退いたあと、自分が何をしたらよいのかわからない

これが理由で退くことができない「譲る人」の、なんと多いことでしょう。「会社に行ってはいけないとなると、明日からどこへ行けばいいのかね?」と冗談交じりに、しかし深刻な表情でおっしゃられた方もいらっしゃいました。傍からは喜劇的に見えるかもしれませんが、私の肌感覚で言えば、なかなか退くことができない「譲る人」の7割は、この理由によります。

サラリーマンの場合、役員になるケースを除けば定年があるため、退職した後に何をするのか考えることになります。(それでも真剣に考える人が多くはないため、人事部は「ライフプラン研修」のようなものを用意する羽目になるのですが…)

一方、ファミリービジネスの経営者は、自分で辞めるタイミングを決めることになります。が、往々にして、忙しさにかまけて先送りにしてしまうのです。自らが老いを感じるに至ってふと気がついて、「さて、どうしようか」と考えることになります。個人差はありますが、65歳を超えた時点で、新しいことを始めるのはしんどいものです。人間、易きに流れがちですから、ついつい会社に残ってしまうのです。

早くに退くほうがよいと言っても、何をするのか深く考えずにやめてしまうというのも、それはそれで考えものです。私が存じ上げている経営者は、辞めてはみたものの特段のプランが無かったため、まずはお好きなゴルフ三昧の生活をスタート。週に3〜4回はコースに出ていましたが、3ヶ月で飽きてしまい、温泉巡りに切り替えたものの、こちらも半年で行きたいところは行き尽くしてしまったそうです。こうなるとほとんど喜劇ですが。

3)自分が忘れられていくのが嫌だ

並走期間が順調に進んで、「譲る人」から「継ぐ人」への権限移行が進むと、「譲る人」へ指示を仰ぎに来る社員の数は徐々に減っていきます。対外的にも、並走期間の最初のうちは「継ぐ人」の負担を和らげるために「譲る人」が対外関係(業界団体への出席等)を担うことが多いのですが、これも徐々に「継ぐ人」へ移行すると、「譲る人」の出番は少なくなります。本来、これは喜ぶべきことです。事業承継が順調に進んでいる証左だからです。

しかし、この「去る者は日々に疎し」状態に耐えられない「譲る人」がおられます。こういう方は退くことに耐えられず、ずるずると会長職にとどまってしまうのです。

では、どうしたらよいのか〜処方箋

教科書的な回答

ファミリービジネスの経営者にとって、退くことが難題であることは、洋の東西を問いません。この分野の権威であるノースウェスタン大学のジャスティン・クレイグ教授はその著書「ビジネススクールで教えているファミリービジネス経営論」(プレジデント社)の中で、経営者が学ぶべきことことを4つの段階に分けて考察しており、これは4Lフレームワークとして知られています。

L1: ビジネスを学ぶ

L2: 自社のビジネスを学ぶ

L3: 自社のビジネスを率いることを学ぶ

L4: 手放すことを学ぶ

(同書p142)

ただ、具体論となると、同書から示唆を得るのは難しいかな、というのが率直な感想です。というのは、以下の記述にとどまっているからです。

最も基本的なレベルでは、手放す道筋は次のようにシンプルなものです。

・ 引退までの明確なスケジュールを決める

・ 経営者の育成の仕組みをつくる

・ 計画に従う

(同書p157)

ここでは経営者の内心の葛藤にどう対処していくかについては、触れられていません。(ここからは学者ではなく、実務家の領域になるのでしょうね。)

実務家として事例に学ぶ

では、どうしたらよいのでしょうか。実務家としては、すっぱり退くことができた事例を参考に考えを進めることになります。

ヒントになるのは、何代も続いている伝統的なファミリービジネスです。ここでは「譲る人」がすっぱり退くことができているケースが多いのです。というか、ずるずると残ってしまっている事例は、私の知る限りではありません。

事例:たねや

まずは以前にもご紹介した「たねや」さんの例を見てみましょう。(以下は「継ぐ人」である山本昌仁氏の「近江商人の哲学」からの引用です。)

私が常務とか専務とかいう肩書だけをもらっていた時代、経営戦略にせよ、商品開発にせよ、いっさい口をはさませてもらえませんでした。何を言っても、父から即座に否定される。何もさせてもらえないので、悶々とした日々が続きました。 (中略)

ところがです。私が四十一歳で社長を継いだ日から、会長となった父はいっさい口をはさまなくなった。父の経営方針を転換したり、父の思い入れのある商品を廃番にしても、何も言わない。 (同書p65〜66)

父からくり返し言われたのは、「主人がすべての味を決めるんや。それができんのやったら、継いだらあかん。」代が変われば味が変わるのを当然と考えているから、私が含み天平や栗饅頭の味をいじっても、一言の文句も言わなかった。

(同書p233)

見事にすっぱりと退かれたケースと言えるでしょう。他にも、名前を明かすことはできませんが、京都を代表する老舗の先代は、「息子のやることに私はいっさい口を出しません。譲った以上、息子が当主だからです。」と、すがすがしいくらいにはっきりとおっしゃっておられました。

老舗の経営者がすっぱり退くことができるのは、退いた後の「譲る人」の役割期待が伝統的にはっきりしていて、「譲る人」と「継ぐ人」の間でそれが共有されているからです。その役割期待の中には、譲った以上、「継ぐ人」に経営を任せ切るという態度が含まれています。

再び、「たねや」さんに戻ります。

自分はリレーランナーの一人にすぎなくて、一時的にバトンを預かっているだけだと謙虚になればよいのです。

(同書 p65)

父も自分がランナーの一人にすぎないと意識しているのでしょう。いまのリーダーは、バトンを持って走っている私一人なのだと。

(同書p66)

バトンを渡すことを躊躇していては、そもそもレースが成立しませんよね。

事例:ジャパネットたかた

引き際が潔いと評された経営者といえば、ヤマト運輸の小倉昌男氏、CoCo壱の宗次徳二氏が思い浮かびます。しかし、小倉氏はファミリーの後継者にバトンタッチしたわけではありませんし、宗次氏はといえば事業を売却して退かれた形です。伝統的ではないファミリービジネスで、すっぱり退くことができた事例となると… 前回ご紹介した、「ジャパネットたかた」の高田明氏になりますか。

前回と重複するところもありますが、高田明氏の軌跡を追ってみましょう。

高田氏は長男の旭人氏を「継ぐ人」と定め、着々と育てあげて来ました。その総仕上げとして、2013年に旭人副社長率いる東京事務所と明氏の佐世保本社との親子対決の売上競争を仕掛け、旭人氏の求心力が否応にも高まるような布石を打ちました。

売上競争が旭人氏の勝利に終わるまもなく、2013年の年末に、社長をやるのは最長2年と社内外に宣言。このとき明氏は64歳。宣言通り、2015年に社長の座を旭人氏に譲り、会長に就任することなく、退社されました。

退社と同時に A and Live という個人事務所を設立。ジャパネットの番組にはタレントとして出演しましたが、それも1年ですっぱり辞められています。

旭人氏の目には、明氏はどのように映っているのでしょうか。

自分が創業した会社です。父は関わりたいはずだし、気になって仕方ないと思います。でも新聞や雑誌などの記事を読むと、清々しく「もう(息子に)任せています」と話している。父はそう発信することで、会社に口を出さないように自分を追い込んだのではないかと思っています。

 

社長になってからは、経営に関して父に相談したことはありません。すべて自分で意思決定をしてきました。

父から呆れ顔で、「本当に何も相談してこないな」と言われたことがあります。

(高田旭人著「ジャパネットの経営」サイバーエージェント社 p46)

「お見事!」という以外にありません。

明氏は2017年に「ジャパネットたかた」がVファーレン長崎を完全子会社化した際に、旭人氏に請われて社長に就任し、経営再建に成功しました。この成功が鮮やかであったため、世の中にはVファーレン社長就任が決まっていたからジャパネットから退くことができたという誤解がありますが、前述のように2年の時間差があります。つまり、Vファーレンへの転身は退社の前提ではなかったということです。ちなみに、明氏はVファーレンを軌道に乗せたあと、2020年に次女に社長の座を譲って退任しています。ここでも引き際は鮮やかでした。

実務家としての処方箋

成功事例を眺めると、以下の処方箋が浮かび上がってきます。

1)「譲る人」(会長)vs「継ぐ人」(社長)の並走期間を、『「譲る人」が退くための準備期間』と位置づける

2)並走期間の中で、段階的に権限を移譲するステップを設計し、「継ぐ人」と握る

3)第三者を交えて、進捗をモニターする仕組みをつくる

1)並走期間は、退くための準備期間

「譲る人」が退くのが難しい理由が内面の葛藤にある以上、ここは「譲る人」に肚を括ってもらう以外にはありません。この並走期間に退いた後に自分がやることを決め、そのための布石を打つ必要があります。退くと決めるだけではダメです。やることをつくっておかなければなりません。

伝統的なファミリービジネスの場合には、退いた当主の役割期待が暗黙のうちに決まっているケースが多いようです。まずは、譲った以上、経営に口を出さないこと。そして、孫の教育。「たねや」の山本さんは次のように語っておられます。

私の長男はいま高校生ですが、私が子供のときと同様、変なものは食べさせないようにしています。舌を鈍らせないように。まあ、息子は父に連れられて出歩くことが多いので、私のときとは違って外食はするのですが、父と一緒ならいいものしか食べていないはずです。 (「近江商人の哲学」p251〜252)

老舗以外の場合、家族の中での役割だと物足りない人が多いことは予想されるわけですが、そういう場合には他社の社外取締役、あるいは社外監査役に就任するというのも一案です。いままでに蓄積してきた経営に関する知見を発揮することは、世の中のためにもなります。とりわけ経営者が若いベンチャー企業にとっては、いわゆるグレイ・ヘアのアドバイスは貴重であるため、需要も見込まれます。

退任後に高田明氏のように個人事務所をつくるのも良いアイディアです。少なくとも、「毎日行く場所」は確保できますので、ソフトランディングには役に立ちます。

2)段階的に権限を移譲するステップを設計し、「継ぐ人」と握る

この点については、次の第三節で詳しくご説明します。

3)第三者を交えて、進捗をモニターする仕組みをつくる

親が退いていく計画が順調に進んでいるかどうかを、親子だけでモニターするのは、とても難しいことです。子の側にはどうしても遠慮がありますし、親としても、子供に引退を急かされるようなことは避けたいと思ってしまいがちです。会社では会長と社長である二人ですから、社員が口を挟めることではありません。そこで第三者の関与が有効になるわけです。実は、これは私の仕事のひとつです。「譲る人」と「継ぐ人」とともに事業承継のプロセスを並走するという、息の長い仕事。

とはいえ私のような仕事をしている人は少ないでしょうから、一般的には社外取締役にお願いするのがよいでしょう。というか、この役割を果たしてくださる方をひとり、社外取締役として招聘することをおすすめします。顧問という形でもよいのですが、そこは法的にしっかりしたスタンスを取っていただくために取締役としてお迎えするのがよいと私は考えています。

どのような方を招くべきか。「譲る人」と「継ぐ人」を良く知っていて、「譲る人」に遠慮なくモノが言える人が理想です。それが難しければ、「譲る人」に直言できる人。この場合は「譲る人」が退くに際してサポートできることが求められるからです。当該業界についての知識よりも、人間力の方が大事であることは言うまでもありません。

理想の退き方

最後に私が身近で拝見した、もっとも理想的な退任の姿をご紹介したいと思います。この事例は立派すぎてなかなか真似ができないものではあるのですが。

この方を仮にAさんとお呼びしましょう。Aさんはファミリービジネス企業の四代目。とはいえ創業者の血筋というわけではなく、三代目のお嬢さんのお婿さんです。三代目は男の子にも恵まれていたので、Aさんはその会社を継ぐつもりは毛頭ありませんでした。Aさんの奥様も家業を継ぐつもりは全くなく、「サラリーマンの妻だった頃は幸せだった」と後年語っておられたほどです。(Aさんはお婿さんですが、養子ではありません。)

しかし、三代目はAさんに惚れ込んでしまい、説得の末、後継者として会社に迎えました。このときAさんは40歳。会社の売上高は200億円ちょっと。古手の役員が居並ぶ中でAさんは会社の改革を進め、その後の20年間で売上高を6倍のグローバル企業に成長させました。

Aさんが退くタイミングを定めたのは55歳ごろと伺っています。65歳で退くと決め、後継者選考に着手しました。奥様とAさんはご子息に継がせないことを早々と決めていて、ご子息たちは全く関係の無い会社に就職。したがって、後継者は社内から選ぶことになりました。

伝統あるファミリービジネス企業であったため、Aさんの義理の従兄弟にあたる方々が取締役としておられたのですが、Aさんはこの方々に辞職を勧告し、空いたポジションを生え抜きの社員で埋めていきました。後継者にとっての「目の上のたんこぶ」になりかねない人々を取り除いたわけです。そして61歳で会長に就任し、65歳で会長を降りて取締役相談役に。その1年後、68歳で退かれたました。

相談役から引かれたタイミングでこの会社は新社屋に移転したのですが、後継社長から個室をご用意しますと打診されたのに対して、Aさんはあっさり辞退されました。

その理由がふるっていて、「部屋があれば会社に行ってしまうかもしれない。会社に行けば、誰かには会う。誰かに会えば、新社長について色々聞かされるだろう。そうなると、私も何か言ってしまうかもしれない。でもそれは、新社長にとってマイナスでしかない。」 今日に至るまでAさんは新社屋に一歩も足を踏み入れていないばかりか、大株主であるのにもかかわらず株主総会にも出席されていません。とはいえ、会社のことが気にならないということではないらしく、私に「最近、会社はどうなの?」と尋ねられることがありました。私が「ご自分で聞いてみればいいじゃないですか。大株主なんですから」とお答えすると、「いや、それをしちゃダメなんだよね」と苦笑い。

Aさんは社外の役職からも完全に退かれて、ご自分の時間を楽しんでおられます。孤独を楽しむことができる方だからこそ、とお見受けします。

さて次回は、社員にとっての並走期間の難しさに触れたあと、並走期間をどのように進めるべきかについて具体的にご説明します。ご期待ください。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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