第三章 バトンタッチの準備〜社長の座を継ぐまで 第一節 承継のタイミング

この第三章では、「継ぐ人」が継ぐべき会社に入ってから、社内で経験を積み、社長に就任して「譲る人」との並走態勢に入るまでの期間を扱います。早速本論に入りましょうと申し上げたいところですが、その前に一つご説明しておかなければならないことがあります。それは、「承継のタイミング」です。

第一節 承継のタイミング

「継ぐ人」が会社に入ってくると、遠い先の話だと思っていた事業承継が、いよいよ現実味を帯びてきたと「譲る人」は感じるはずです。社員たちも、いずれ「その日」が来ることを、あらためて実感するようになります。

この時点で「譲る人」にとって大切なことは2つあります。

1)承継のタイミングを決める

2)そのことを必要な範囲の関係者に伝える

順番にご説明しましょう。

1)承継のタイミングを決める

「そんなの当たり前でしょ?」と思った方がおられるとしたら、「ファミリービジネスをよくご存知ではないのですね。」と申し上げなければなりません。コトはそんなに簡単ではないのです。

主観的なタイミング設定はうまくいかない

「息子(あるいは娘)に任せて大丈夫と思えるとき」が答えだと考えている「譲る人」は結構多いのです。が、この場合、まず間違いなく承継のタイミングは遅れてしまいます。親の目から見ると、子供はいつまでも子供で、どうしても足りないところにばかり目が行ってしまうものだからです。

タイミングが遅れると、何が起こるのか。わかりやすいところでは、「継ぐ人」のやる気が低下してしまうことが挙げられます。最悪の場合には、「本当に譲る気があるのか?」と疑心暗鬼に陥る危険さえ発生します。もうひとつ困ったことが起こるのですが、それは、タイミングが遅れるにつれて、「譲る人」が「継ぐ人」に対して設定するハードルが上がってしまうということです。「これだけ時間を与えているのだから、もうちょっと伸びていても良いはず。 なのに…」と思ってしまいがちなのです。「継ぐ人」にとっては非常に理不尽な話なのですが、実際にはよくある話です。

具体的にタイミングを決める

「◯◯年◯◯月に事業承継する」、あるいは「◯◯歳になったらバトンタッチする」と明確に決めるべきです。後になって変更することもあるでしょうが、それはやむをないこと。具体的にタイミングを設定することは、円滑な事業承継に欠かせないステップです。

おすすめの方法

どのようにタイミングを設定するのかについては、「譲る人」の健康状態や会社の状況などによって左右されるので、一概に論じることはできません。ただ、私がこれまでの経験に基づいておすすめしているのは、次のようなタイミング設定の方法です。これは言ってみれば、「現場の知恵」です。

自分が自信を持って社長として経営にカムバックすることができるであろう年齢を考え、それから3年を引いて「継ぐ人」へのバトンタッチのタイミングを設定する。

 

ここでの3年とは、「譲る人」=会長、「継ぐ人」=社長 といったような並走期間です。 この並走期間については、第四章で詳しくご説明します。

仮に「65歳だったら、戻っても社長をやれるかな」と思われるのであれば、65歳から3年を引いて、62歳のときに「継ぐ人」を社長に据えて自らは会長となり、3年間の間、「継ぐ人」をバックアップしつつ、段階的に権限を移譲を進めます。万が一、「継ぐ人」が社長として不適格であると判断せざるを得ない場合には、解任あるいは降格し、自らが社長に戻ります。そして新しい後継者を任命するか、あるいは降格した「継ぐ人」を再教育することになるわけです。

私のおすすめする方法だと、多くの場合、「譲る人」が思い描いているよりも早いタイミングでの事業承継となるため、概して好意的な反応はいただけないのですが(笑)。でも、実際に事業承継を進めていくと、どうしても遅れがちになるので、早めにタイミングを設定しておくのは非常に賢明な判断です。

2)そのことを必要な範囲の関係者に伝える

「必要な範囲」とはどこまでかが問題になります。「継ぐ人」は当然含まれるとして、どこまで広げるべきなのか。

理想論を言えば「全社員」が答えになりますが、そこまで範囲を広げる必要はないと私は考えています。「継ぐ人」が会社に入った時点では、バトンタッチするまでにはだいぶ年月があります。そして、実際問題としてこの先何が起こるかわからないわけですから、「継ぐ人」に加えて、家族と経営幹部に伝えておけば良いでしょう。

はからずも事例になってしまった、スノーピーク

早期バトンタッチすれば「継ぐ人」が失敗しても「譲る人」が元気なうちに復帰し、ダメージを最小化できるという私の「おすすめ」のメリットを示す事例となってしまったのがスノー・ピークです。

同社では思いがけない理由から三代目の山井梨沙社長が辞任して話題になりましたが、二代目山井太社長から長女の梨沙氏への事業承継自体はとてもうまく進んでいました。私も模範的なケースになるだろうと、期待しつつフォローしていたくらいです。

以下では「大事なことは、全部キャンプが教えてくれた」山井梨沙著 日経BP社 から引用しながらご説明します。(この本には太氏執筆による部分もあり、実質的には父娘の共著ともいえるものです。)

山井太氏は二代目として家業の登山用具店を承継する際に、次の社長にいつバトンタッチするかを決めて、社内に対しても明確にしていました。

1996年、私がスノーピークの社長に就任した時点で、早々に決めていたことが2つありました。一つは、60歳で社長を辞めること。もう一つは後継者は30代から選びたいということです。社内外に公言していました。 (p53)

太氏は1959年生まれですから、37歳で会社を継いだことになります。太氏は自分の後継者に求める条件についても、早くから想定していたと述べておられます。

私自身、社内起業を経て社長になった経緯があるので、後継者はスノーピークで新規事業を企画し、事業として成立させた人にしようと考えていました。 (p53)

娘である梨沙氏からみると、太氏は「トップダウンでリーダーシップを発揮するタイプ」であり、「サメ型の経営スタイル」だそうです。(p41)。このタイプのリーダーの下で独自の路線を発揮できるのは、正直言って息子あるいは娘しか有り得ません。太氏ものちにこのことに気づきます。

いよいよ60歳が近づくまで、該当する社員は現れませんでした。(p53)

2014年、娘である梨沙が27歳の時に立ち上げたアパレル事業は、5年目を迎える頃には売上が15億円ほどになっていました。私も30代の時にオートキャンプ事業で20億円を売り上げていたので、規模は同じくらい。新規事業を自分で立ち上げて成立された唯一の人材がたまたま彼女だったわけです。後継者の候補として私の迷いはありませんでした。(p53)

実際には、社内に一人も経験者がいないアパレル事業を業界経験のある梨沙氏に任せることで、「継ぐ人」として育て、社内で認知されるように誘導したということかと思います。もちろん、梨沙氏に資質と努力によるところも大きいわけですが。

太氏は2018年に梨沙氏を副社長に指名し、2020年に社長の座を譲って会長に就任しました。このとき61歳ですから、ほぼ予定通りということになります。国内を梨沙氏に任せ、太氏はグローバル展開を目指すという役割分担も順調に推移していたところで例の事件が起こり、梨沙氏が辞任。太氏は本年9月付けで代表取締役社長に復帰することとなってしまいました。

太氏は3月生まれですから、現在63歳。これから「継ぐ人」を育てるのはしんどいでしょうけれど、まだお元気なご様子なので大丈夫かと。もしかすると時間をかけて梨沙氏の復帰を準備するのかもしれませんね。

次回は「継ぐ人」を会社に迎えるに際して、どのようなポストにつけるか、どうやって育てるか、等についてご説明します。

一般的には「後継者といえども特別扱いしない」という立場が支持されているように思うのですが、私は反対です。むしろ、「特別扱いしないと、後継者として育てることはできない」というのが私の主張です。ここでの「特別扱い」とは何を意味するのか、次回以降でじっくりとご説明させていただきます。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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