おそらくは、日フィルの歴史に残る名演かと:日本フィルハーモニー交響楽団第736回東京定期演奏会

以前にもこのブログに書いたことがありますが、私が将来を期待している指揮者が3人います。クラウス・マケラ、アンドレア・バッティストーニ、そして今日、日フィルを振ったカーチュン・ウォン。9月には彼が振るバルトークを聴くために(仕事の日程を合わせて)福岡に飛び、彼の才能に感嘆した私ですが、今日のマーラーの5番は期待を遥かに上回る大名演。これは日フィルの長い歴史の中でも指折りの演奏だったのではないでしょうか。少なくとも私が今まで聴いてきた全ての日フィルの演奏(その中にはラザレフのショスタコーヴィッチも含まれるわけですが)での、ベストであったと思います。

今日の曲目は、前半にアルチュニアンのトランペット協奏曲、後半にマーラーの交響曲第5番。前日の演奏が評判を呼び、完売。満席のサントリー・ホールは久しぶりです。

このプログラムは本来であれば2020年の3月に、カーチュンの日フィルデビュー公演として行われる筈でした。コロナ禍により中止となり、今回に至ったわけですが、この21ヶ月の歳月は、結果的には「吉」と出たように思います。それは、オケがすでにカーチュンを経験(2021年3月)し、彼へのリスペクトが形成されたことと、首席ホルンの信末さんの飛躍的な成長によります。信末さんのデビューは、2020年2月の日フィル九州公演でしたから。当時の彼では、今日のような演奏は難しかったかと思います。

アルチュニアン:トランペット協奏曲

独奏はソロ・トランペットのオッタヴィオ・クリストフォーリさん。前述の九州公演の中での大分での演奏会を私は聴きに行き、打ち上げにも参加しました。その席上で彼と話していた際に、「アルチュニアンでソロを吹くとしたら、後半のマーラーは誰がトップを吹くの?」と尋ねたら、「俺だよ! なんて人使いの荒いオケなんだ!」と苦笑していました。(でも、「俺じゃなきゃダメでしょ?」的な自信がアリアリでしたけど。)

彼が素晴らしい技巧の持ち主であることは言うまでもないのですけれど、音色もこの曲に合っていたように思います。それにしても、とんでもない曲で、まさに超絶技巧が要求されます。

この曲は楽章に分かれていないのですが、第二楽章に相当する部分ではミュートを付けます。トランペットの協奏曲でミュートを付けるなんて、見たことがありません。そして、ミュートを付けると、なんとオッタヴィオのトランペットが、イングリッシュホルンのように鳴るんです。これには驚きました。最後に、これまた難度の高いカデンツアがあって、終曲。オッタヴィオへのカーテンコールは4回。彼もとても満足そうに見えました。

カーチュンはトランペット吹きでもあるので、伴奏指揮は完璧。この曲の編成は大きくて、チューバまで乗ってます。そして、カーチュンはオケをかなり鳴らすのですが、独奏トランペットは常に聴こえていました。このあたりが並みの指揮者とはモノが違う所以ですね。

マーラー:交響曲第5番

信じられないくらいに素晴らしい演奏。涙が出ました。

最初から最後まで、カーチュン独自の仕掛けが続いていくのですが、奇を衒っているような感じはありません。半端なく説得力があるからです。そして、斬新なのですけれど、でも懐かしいような感じがあるのが不思議でした。

例を挙げると、第一楽章冒頭の弦の揺蕩うようなリズム。私はバルビローリを思い出しました。中野雄先生によれば、マーラー自身が遺したピアノロールのテンポに一番近いのはバルビローリであるとのことです。もしかしたら、カーチュンもそれを聴いているのかもしれませんね。

第四楽章でも、私の脳裏に唐突にブルーノ・ワルターの顔が浮かんできて、びっくり。これはどういうことなのか…

もともとカーチュンはクライマックスの設計に非常に長けている人ですが、曲が曲であるだけに、ほんとうに見せ場(聴かせ場?)の連続で息を呑んで聴きました。日フィル登壇はまだ2回目なのに、オーケストラを完全に掌握していて、凄いとしか言いようがありません。

いにしえの巨匠を想起させる懐かしさを持ちながら、しかし斬新であるカーチュンのマーラー! 来年5月は4番。コロナ禍が落ち着けば合唱が復帰できると思うので、そうなると2番、3番が期待されますね。

オーケストラについて

コンマスは木野さん、サイドに田之倉さん。木管はフルート真鍋さん、オーボエ杉原さん、クラリネットは伊藤さんがお休みで楠木さん。ファゴットは鈴木さん。それぞれのソロの出来栄えはお見事。

マーラーの終演後、カーチュンが真っ先に立たせたのはホルンの信末さん。素晴らしかった! うしろで3番を吹いていたのは日高さんでしょうか? 信末さんの先生ですね。昨年2月の九州公演では、日高さんが1番、信末さんが3番でした。「恩師と一緒に吹けて感無量です」と語っていたのですが、今日は成長を見せることができたのではないでしょうか。日高さんも嬉しそうでした。

オッタヴィオも凄かった。アルチュニアンを吹いて、15分の休憩の後に、あの冒頭のソロですからね。ちょっと常人では考えられないことです。(あ、彼の師匠のハーセスだったら可能かも。)

終演後の「一般参賀」で、カーチュンは信末さんとオッタヴィオを連れて登場。盛大な拍手を浴びて嬉しそうでした。かつてショルティがインタビューに応えて、「私はマーラー指揮者として評価されているけれど、それはこの二人のおかげなんだよ。」とハーセスとクレヴェンジャーを指差したという逸話があるのですけれど、それを思い出しました。

日フィルの歴史に残るであろう演奏会を聴けたことは、ほんとうに幸いなことでした。感謝です。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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