来月で85歳になる巨匠エリアフ・インバル。はたしてこのコロナ禍に来日してくれるのだろうかと危ぶまれていましたが、二週間の隔離期間を経て、颯爽とサントリーホールに登場。私が行ったのは2日目の公演でしたが、初日の評判がSNSで拡散していたためか、インバルが袖から出てきただけで大拍手。
この日の曲目は前半がワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」。後半が目玉で、ブルックナーの交響曲第3番「初稿」。コンマスは矢部さん。
ワーグナー:「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」
インバルは楽劇の前奏曲としてというよりも、交響詩として捉えているのだと思います。その結果、オペラ指揮者であれば粘って歌うところをあっさり通り過ぎる一方で、ホルンが突如吹き上がったりする場面もあり、とても面白く聴きました。インバルには自伝の類が無いので確認できませんが、トリスタンを劇場で振ったことはないのではと思われます。彼はフェニーチェの音楽監督というキャリアを持っているので、オペラを振らないという訳ではないのでしょうけれど、音源となるとバルトークの「青髭公」あたりになってしまうのですよね。
何が言いたいかというと、伝統から自由な、良い意味でユニークで、かつ凄みのある演奏であったということです。
ブルックナー:交響曲第3番「初稿」
私はブルックナー愛好家であることを自認していますが、いわゆる「ブルヲタ」ではないので、0~3番を聴くことはほとんどありません。しかも「初稿」とは! 当然、生で聴いたのは今回が初めて。
ヨッフム、朝比奈、ヴァントあたりの記憶を呼び起こしながら聴いたのですが、ずいぶんと景色が違います。これはある種、「異形」の演奏であったのではないでしょうか。そして、それは版の違いもさることながら、インバルの解釈によるところが大きいかと。
大指揮者ブルーノ・ワルターが遺した言葉で、「ブルックナーは神を見た。マーラーは神を見ようとした。」というのがありますが、そういうカトリック的なものを連想させる演奏(ヨッフムあたりからは色濃く感じますが)ではありませんでした。無神論的なブルックナーとも言うべきか。
私はブルックナーをずいぶん聴いてきたつもりですが、dämonisch (悪魔的な)という言葉を連想したのは初めてのことでした。聴いていて、ときとして怖くなる瞬間がある、そんなブルックナーでした。
オーケストラについて
16型で、伝統的な配置。管はダブらせず、2管。コンマスは矢部さん、コンマスサイドは四方さん。ヴィオラに店村さんのお姿を久しぶりに拝見しました。
都響、素晴らしい。圧倒されました。あんまり安易なことを言うのは慎むべきなのでしょうけれど、世界水準の演奏能力。
ブルックナーの3番の初稿については、ヴィーン・フィルに「演奏不可能」と初演を拒否されたというエピソードがあるのですが、特にヴァイオリンセクションにこれだけ音符が多いのを見ると、当時としてはそう言われても仕方あるまいと思います。それを、徹底的に、献身的に弾きこむと、ものすごい演奏効果が出るのだということが、今回の演奏でわかりました。弦の全員が、全力で弾く姿は一昨年のベルリンフィルを思わせるものがありました。ここまでオケを統率する矢部さんの凄さ、ですね。
これが私にとって、今年の聴き初めとなりました。 いや、凄いものを聴かせていただきました。みなさんそう感じられたようで、終演後は「一般参賀」が3回。インバル、すごく嬉しそうでした。