ファゴットの季節はいつでしょう? 「春の祭典」の出だしを吹くのはファゴットだけど、春にふさわしい音色かというとそうではない気がするし、冬だと「悲愴」のソロを思い浮かべるけれど鬱病になりそうで良くないし。暑さには弱い楽器だと思うので夏ではなく… となると秋ですかね。楓の木で出来ているので、紅葉のイメージもあるし。「秋が似合う楽器」ということにいたしましょう。
そんなわけで先週の土曜日(9月26日)、肌寒いくらいの小雨の中、初台のオペラシティの裏にあるカフェで開かれた広幡敦子さんのミニ・リサイタルを聴きに行ってまいりました。
会場はナベ・カフェさん。雰囲気の良いお店でした。お店の奥にステージをつくって、客席は20席。意外に天井が高いので、音響はさほど問題はない感じでした。空調の音がかすかに聴こえてしまうのは、まあご愛嬌。
このお店では定期的に室内楽の催しが行われているらしく、今回は広幡さんが招かれたというしつらえであるようでした。20人の聴衆のうち、ファゴットを持ってきている若者が二人。私もファゴットですので、もしかすると5人に1人はファゴット吹き、という聴衆の構成であったかもしれません。
主役の広幡敦子さんについて
広幡さんは東フィルの首席ファゴット奏者。私がもっとも将来を期待している若手ファゴット奏者の一人です。(ちなみに、あとは東響首席の福士さんと、ベルリンフィルアカデミーの古谷さん、ドイツ・カンマーフィル首席の小山さん)
広幡さんの魅力は、もちろん技巧も卓越しておられるのですけれど、豊かなストレート・トーン。他の楽器とも綺麗に溶ける、まろやかな、やや深みのある音色。いい音です。細身の、楚々としたお嬢さん、という感じの方なのですが、音量は豊かです。
広幡さんの師匠は岡崎耕治さんでは、と思っているのですけれど、そうなると、デトモルトのアルベルト・ヘニーゲ先生の孫弟子ということになります。岡崎さんも、私の師匠であり長くN響の2番を吹かれていた菅原眸先生もヘニーゲ先生の弟子です。福士さんは岡崎さんの弟子ですし、小山さんの先生でありお父様である小山昭雄さんもヘニーゲ先生の弟子なので、私はつまるところヘニーゲ先生の系譜のファゴット奏者が好きなのかもしれません。
菅原先生から、もう30年前に伺った話です。菅原先生がN響からデトモルトに留学し、ヘニーゲ先生にお会いしたときのこと。「きみはもう若くないし、聞くところによると2番奏者だというではないか。一体、何を学びたいのだね?」と尋ねられ、「私は「ドイツの音」を身に付けたいのです」と答えたら、ヘニーゲ先生はとても喜ばれて、「ドイツの音はね、深くて、大きい音だよ。」と教えてくださったそうです。菅原先生は、ほんとうにどっしりしたドイツの音でした。
余談ですが、このころのデトモルトの教授陣はすごくて、オーボエはヘルムート・ヴィンシャーマン(宮本文昭さんの先生)、クラリネットは、ヨスト・ミヒャエルスですよ! 夢のようですね。
さて、リサイタルに戻りましょう。曲目は、最初にピアソラの「タンゴの歴史」。ギターは徳永伸一郎さん。続けてギターの独奏で、ヴィラ・ロボスの「5つのプレリュード」の第一番。そしてグリンカの「悲愴」三重奏曲。クラリネットは東フィル首席のぺヴェラリさん。ピアノは東フィル第二ヴァイオリン首席(!)の水島さん。最後はドヴィエンヌのファゴット四重奏曲作品73の2でした。
ピアソラ:「タンゴの歴史」
もともとフルートとギターのために書かれた曲。フィラデルフィア管の首席ファゴット奏者のダニエル・マツカワさんの来日リサイタルの際に演奏されたそうですが、そのときのギターが徳永さん。とても感動した広幡さんのリクエストにより、今回の共演が実現したとのことでした。
徳永さん、すごく上手。この曲はフルートで吹くよりもファゴットの方が哀愁が漂う感じが出て、良いのではないでしょうか。私は初めて聴いたのですが、素晴らしい。ファゴット奏者は、この曲をレパートリーに入れるべきですね。
ヴィラ・ロボス:「5つのプレリュード」から第一番
いや、もう言葉を失うくらい素敵でした。どこかのオケで、徳永さんを起用して「アランフェス」とかやってくれませんかね。万難を排して聴きに行きます。
グリンカ:「悲愴」三重奏曲
私たちにとって、この曲はファゴットの曲ですが、素直に聴けばクラリネットのために書かれた曲であることを認めざると得ませんね。悔しいけど。
ぺヴェラリさんは恐ろしく表現能力の豊かな人なのですが、そんな彼が、まあ、とにかくやりたいだけやっちゃいました!という演奏でした。こうなると、楽器の性能の関係上、ファゴットはちょっと不利です。が、そこで引いてしまう広幡さんではなく、ぺヴェラリさんの仕掛けに食らいついていくので、すごい演奏になりました。
この曲のタイトルは「悲愴」ですが、正直、「アパッショナータ=熱情」では? という大熱演。私は、この曲がこんな風に響くとは、想像もしていませんでした。すごい。
ドヴィエンヌ:ファゴット四重奏曲作品73の2
作品番号73は3曲で構成されているのですが、有名な73の1ではなくて、73の2が演奏されました。73の2を実演で聴くのは、私ははじめて。73の1に比べると、こちらのほうがヴァイオリンやヴィオラに華やかなソロがあるので選ばれたのかな、と思いました。先輩を立てる広幡さん。
ヴァイオリンは堀越瑞生さん、ヴィオラは須藤三千代さん(東フィルヴィオラ首席)、チェロは大内麻央さん(東フィル)。
熱情の世界から一転して、歌うところはあるけれど、基本は軽妙洒脱な曲。広幡さんの表現能力の幅の広さが示された、という感がありました。気の抜けない曲ですよね。演奏は、お見事の一語に尽きました。
有名なドガの絵の真相
ドヴィエンヌに入る前に、須藤さんによるトークがありました。話題がフランス式ファゴットであるバッソンに及んだのですが、そこで取り上げられたのが有名なドガの絵。
これはバッソンです。ただ、この絵はとても有名ですけれど、実は不思議な絵なんです。何が不思議かというと、楽器配置が。バッソンの前にコントラバスがいて、バッソンの後ろにはなんとチェロが。いくらなんでも不思議すぎる楽器配置ですよね。
須藤さんの種明かしによれば、バッソンと、コントラバス、チェロの奏者は実在の人物で、なおかつドガのお友達であったとのこと。要は、親しい友人を手前に3人並べて描いた、というのが真実だそうで、これにはびっくりしました。
今回のミニ・リサイタルは9月26日の昼、夜の2回で開催されたのですが、あっという間に売り切れたので、10月11日に再演されることになったそうです。好楽家の方、オススメです。(と言いつつ、もう売り切れてしまったかもしれませんが。)
ほんとうに素晴らしい演奏会でした。ありがとうございました。