12月13日、N響の茂木さんの tweet により、小島葉子さんが逝去されたことを知りました。心からご冥福をお祈りいたします。
私たちの世代にとって、N響の浜さん、小島さんの両首席奏者はオーボエの代名詞のような存在でした。 とくに小島葉子さんはシカゴ響の首席を長く務めたレイ・スティルの弟子として、ドイツ系の奏者が主体のN響の中でひときわ目立った存在でした。
私が日本郵船の研修生として、そしてのちには留学生としてシカゴに滞在していた時期は、シカゴ響の黄金期。 アドルフ・ハーセス、デール・クレヴェンジャーを始めとして綺羅星のように名手が居並ぶ中で、レイ・スティルの存在感には格別のものがありました。 あまりヴィヴラートをかけないストレートな音が、矢のように飛んでくる感じなのです。 ではドライなのかというと全くそうではなく、モーリス・ブールグとのオーボエ2重奏の録音などは、流麗の極みです。かつてのベルリン・フィルのローター・コッホのように、まさにオケの顔でした。
小島さんの音は、レイ・スティルを彷彿させる音色でした。 イーゴリ・マルケヴィッチが最晩年にN響を降ったときの「悲愴」の録音がありますが、このときのトップは小島さんです。私は客席で聴いていたのですが、第3楽章で「ああ、やっぱりレイ・スティルの弟子だなぁ」と感嘆したことを昨日のように思い出します。小島さんのリードは長いんですよね。
小島さんは私のファゴットの師匠である、N響の菅原眸先生の飲み友達でもありました。ある日の午前中に菅原先生のお宅にレッスンに伺ったら、レッスン室の床にワインの空き瓶がゴロゴロ。 明らかに二日酔いの菅原先生が、「いやー、昨日小島さんと浜さんと飲んだのよ。小島さんは本当に強いわ。この三分の二は小島さんが空けたんだよ。」と言い訳されていましたっけ。 飲み過ぎがたたって後年倒れられたことを思うと、なんとも言えませんが…
小島さんがN響を定年でやめられたのは2001年のこと。もう17年も前なのですね。時が経つのは早いものです。
小島さんはヴィーンの名ピアニスト、ヴァルター・クリーンの義理の妹でもありました。今頃は天国で、クリーンさんの伴奏で、オーボエソナタを吹いておられることでしょう。合掌。