その昔、漢文の時間に三国志の曹操について学んだとき、関連して「醍醐味」の「醍醐」とはチーズのような乳製品である、と教わりました。まあ、それはそれとして、では「後醍醐天皇」というお名前については、どう理解すればよいのでしょうか。
天皇は在位中は「今上(きんじょう)陛下」と呼ばれます。崩御された後、「〜天皇」と呼ばれるようになるのです。 後醍醐天皇は生前から「延喜の治」で名声が高かった醍醐天皇を尊敬していたため、遺言で後醍醐天皇と呼ばれることを望まれました。
とすれば、醍醐天皇は、なぜ「醍醐」天皇なのでしょう。 いくらなんでも「チーズ」天皇というのも変ですよね。 ことのほかチーズがお好きであった、ということでもないでしょうし。
醍醐とは
そもそも醍醐とはどんなものだったのか。ざっくりした製法が遺されています。
牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生酥(せいそ)を出し、生酥より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す。
四段階の精製過程を経由して作られるようですね。 ただ、細かな製法は断絶して伝わっていないそうで、実際のところどんな味であったかはわからないとのことです。
ここで引用したのは「大涅槃経」という仏典です。そこには、このように続いています。
仏の教えもまた同じく、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅(しゅたら)を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃経を出す。
つまり大涅槃経は、仏教のエッセンスであるということですね。京都の東、山科の郊外に醍醐寺という立派なお寺がありますが、醍醐寺はこの大涅槃経にちなんで名付けられたのです。
となると、醍醐天皇は摂関家の影響を排して天皇親政を行われた「天皇中の天皇」として「醍醐」天皇と名付けられたのでしょうか?
正解は実にあっけないもので、「御陵が醍醐寺の近くにあるから」なのです。がっくりきますよね。
諡号、追号、遺号、そして元号
崩御された天皇をどのようにお呼びするかについては、律令制の下では、在位中の功績などにちなんで名付けることになっていました。これを諡号(しごう)といいます。天智天皇とか天武天皇というのがそれですね。(正確には漢風諡号というのですが)。
律令制が崩れてくると、かなり安直になってきます。退位して上皇になったときに「○○院」と呼ばれていたので、「○○天皇」であるとか、御陵が△△にあるから△△天皇、とか。これは追号(ついごう)といいます。醍醐天皇もこのパターンですね。
遺号(いごう)は、生前に「朕が死んだらこう呼んでくれ」と遺言された場合で、後醍醐天皇、後白河天皇など。「後〜天皇」というのはほとんどがこれです。
漢風諡号が行われなくなったあとでも、例外はあります。それは悲劇的な最期を遂げられた天皇に対して、祟ることを恐れて立派な諡号をおくるケースです。この場合には「徳」の字が用いられる多いことが知られています。
- 幼くして平家ととともに壇ノ浦の海に沈んだ安徳天皇。
- みずから大魔王となって皇統に祟ると言い遺して憤死した崇徳天皇。
- 承久の乱を引き起こしが敗北し、佐渡に流されて亡くなった順徳天皇。
実は、最後に諡号を贈られているのは明治天皇の父である孝明天皇です。 このことをどう考えるべきか…
明治天皇以降は、一世一元の元号が定められたため、その元号にしたがって呼ばれることとなりました。今上陛下も、いずれは平成天皇と呼ばれることでしょう。
蛇足ですが、「元号」は日本古来の伝統に基づくものではなく、明治以降のものです。それ以前のものは「年号」です。「元号」って、新しい制度なのですよ、実は。
追記: タイトルの写真は醍醐寺三宝院の勅使門です。