読響の首席客演指揮者に就任した山田和樹さん。今月はそのお披露目で、4公演を指揮。18日はその最終日でした。ここまで下馬評は絶賛。さてどうなることかと期待しながら、サントリー・ホールへ。
曲目は前半が諸井三郎の「交響的断章」と、藤倉大の「ピアノ協奏曲第3番 インパルス」。
後半はワーグナーの「パルジファル」第一幕への前奏曲、そしてスクリャービンの交響曲第4番「法悦の詩」。
ピアノのソリストは小菅優でした。
諸井三郎: 交響的断章
名前は聞いていた曲ですが、実演は初めて。聴いた印象として、失礼ながら「未熟」という言葉が頭に浮かびました。
主題は海のうねりを思わせる魅力的なものなのですが、それがうまく展開されることがなく、なんとももどかしい感じ。
あとで解説を読んだら、25歳のときの作品。 このあと独学の限界を痛感してヨーロッパに留学したということで、それには納得しました。交響曲へ展開させることができなかったことが、「断章」という曲名に反映しているのでしょうね。
山田和樹の指揮は例によって曲の構造をすっきり見せてくれるもの。であるがゆえに、作品の弱さがくっきりと浮かび上がってしまったのかもしれません。 でも、美しい曲でした。
藤倉大: ピアノ協奏曲第3番 インパルス
山田和樹が音楽監督などを務める3つのオケによる委嘱作品。できたてのホヤホヤで、もちろん日本初演です。
伝統的なピアノ協奏曲はピアノとオケが対峙するわけですが、この曲は根本的に違う構造であったかと思います。ピアノが中心にあって、音が放射状に伸びてゆき、オケに引き渡される感じがしました。心象風景を音化したような。
ピッコロ、フルート、オーボエがピアニシモで笙のような響をつくるところがあって、面白く聴きました。が、もういちど聴きたいかと言われれば、答えは否でしょうね。これは好みではない、ということです。ちょっと長いかな、と。周囲では寝ている方もちらほらと。
小菅優さんはこの曲にすごく共感されているようで、あたかも作曲者自身が弾いているかのような演奏でした。アンコールも藤倉さんの小品でした。
ワーグナー: パルジファル 第一幕への前奏曲
これは期待外れ。この曲は誰が振っても大丈夫な傑作であると今まで思っていましたが、大間違いであったことを悟りました。
「ゾクゾクしない」パルジファルでした。「舞台神聖祝典劇」なのに。
冒頭部、管(とくにファゴット)を抑えて弦を鳴らしていたのは純粋な感じを出す意図かと思いますが、ローエングリンじゃあるまいし、それはちょっと… おそらく舞台音楽というよりも音響構築物として響かせようとしていたのでしょうけれど、だとしても中途半端でしたね。その路線の到達点はピエール・ブーレーズのバイロイトでの演奏かと思いますが、そこまでにはかなりの距離があると感じました。
そもそもワーグナーから官能を引いたら、何が残るのでしょう。帰宅後、1986年にホルスト・シュタインがバンベルクを振った演奏を聴いたのですが、もう最初の4小節から違います。そう、「ゾクゾク」するんです。
スクリャービン: 交響曲第4番 法悦の詩
たくさんの熱帯魚がキラキラを水槽を泳いでいるような第一楽章から、薬物患者の妄想風景のような第四楽章まで、熱に浮かされ続けるような曲。まあ、過剰なオーケストレーションですよね。スクリャービンは存命中に自作の実演に接することがあったのでしょうか。
こういう曲を振らせると山田和樹さんはとても上手です。とにかくわかりやすい。「ああ、こういう曲だったのね」と感心させられます。ただ、曲自体に深みはないので、感動はしません。知的には面白いですけど。プロコフィエフの交響曲もこんな感じですよね。
スクリャービンはトランペットが好きだったようで、交響曲3番の終楽章はトランペット奏者への試金石の趣があります。この第4番もチャレンジングな内容。最近日本でこの曲が演奏されるようになってきたのは、各オケのトランペットの演奏能力が飛躍的に向上したからではないかと思います。20年くらい昔だったら、こんな曲はできませんでしたよね。
オケについて
読響はもちろんうまいのですが、とりわけ中低弦の豊かさが印象的でした。よく鳴ってましたね。
木管で出色だったのはクラリネットの金子さん。ホルンの日橋さんは相変わらず素晴らしい。スクリャービンでのトランペット、長谷川さんは思い切り吹いて大熱演でした。けっこうヴィヴラートがかかっているように私には聞こえましたが、ロシアのオケってそうですものね。この曲にはふさわしいかと。
ちょっと気になったのは、管の出が揃わないことが結構あったこと。指揮の打点が明確でないのでしょうか?
最後に。読響のプログラムには「山田和樹 世界を天翔る日々」って書いてあるんですが、それはどうかな、と個人的には思った夕べでありました。