なぜジェットコースターは「ロシアの山」なのか?

フランス語を学ばれた方はご存知かと思いますが、遊園地のジェットコースターは、montagnes russes と呼ばれています。「ロシアの山」ですね。スペイン語でも同じです。

なんでまたそんな名前がついているのか調べてみたら、意外な結果が。

(ところでドイツ語だと、Achterbahn、つまり「8の字の軌道」です。いかにもドイツらしく、即物的であることには感心します。)

 

なんと、ほんとうに起源はロシア。

傾斜地に溝を作って、橇で滑る遊びが起源だそうです。今でいうリュージュのようなものでしょうか。かの有名なエカテリーナ女帝はこの遊びが大好きだったとか。

ちなみに、2025年の万博開催地を巡って大阪と最後まで競ったエカテリンブルグは、彼女にちなんで命名された街です。

それはさておき、この遊びは19世紀にフランスに輸入され、流行したらしいのです。ロシア革命の前ですね。

このころは今のように鉄骨を組み上げてスロープを作るのではなく、実際に山のような構造物を作り、頂上からレールを降ろす仕組みであったため、「ロシアの山」と名付けられたとか。

面白いことに、フランス人はこのことをあまり誇りに思っていないようなのです。わが国のフランス文学者も。

朝比奈誼先生は苦々しげに、こう書かれておられます。

 

軽佻浮薄なジェットコースターなるものはてっきりアメリカ人の発明だとばかり考えていたが、どうやらフランス人のほうが先陣を切ったものらしい。むろん、今日のような大掛かりな技術・施設を開拓し、遊園地のドル箱にまで発展させたのはアメリカ人、それも20世紀のアメリカ人であったことはいうまでもない。

 

ウィキペディアでは、今日のようなジェットコースターを建造したのはアメリカ人のL.A.トンプソンで、場所はコニー・アイランド。1844年のことであったと記しています。日本だと12代将軍家慶の頃です。

コニー・アイランドはニューヨークのブルックリンにある遊園地の老舗です。東京だと浅草の花屋敷みたいなもんですね。映画「Once Upon A Time In America」にも登場します。

 

「ジェットコースターの父」は、実のところ、父ではなかった。

ところで「ジェットコースター」は本当は商品名で、英語では Rollercoaster です。後楽園遊園地がスピード感を強調するために「ジェット」の文字を使い、日本ではそれが普通名詞化したとのこと。

いずれにしてもトンプソンは今日のジェットコースターの父とされているのですが、実際のところは様子が違ったようなのです。

彼は自分が作った構造物を Scenic Railway と名付けました。「景観鉄道」と仮に訳しておきましょう。列車といっても動力はついていなくて、引力による落下に任せるのはジェットコースターと同じです。

しかし、彼の意図は現在のジェットコースターの「売り」であるスリルを味わうということは全く異なるものでした。彼は動く展望台として構想したのです。このため、最初期のものは座席が前向きではなく横向きについていたそうです。そしてスピードも、意図的に緩やかに設定されていました。

そして何よりも意外なことは、トンプソンは生涯を通じてスピードを上げることに反対し続けました。「安全でないから」というのがその理由です。

トンプソンにとってジェットコースターとは、あくまでもそこからの景色を楽しむものでした。

トンプソンの競争相手たちは当然ながらスピードを上げてスリルを売り物にしました。そして1920年代には、トンプソンの Scenic Railway はその幕を降ろすことになったのです。

 

最後にまったくどうでもよい話ですけれど、腕の立つ鳶職でないと、ジェットコースターと観覧車を作るのは難しいのだそうです。 なんとなくうなづけますね。

 

 

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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