ある経営者の想い出

やましたひでこさん(断捨離で有名な方)に触発されて、「私服の制服化」を進めています。

2つボタンの白いスタンドカラーのシャツをたくさん仕立てて、ふだんはもっぱらそれを着ています。上の写真がそれです。

このシャツ、ある経営者の記憶と密接に結びついているんです。

昭和シェル石油の社長、会長を14年にわたって務められた、新美春之さん。

2011年に急逝されたのですが、ご存命であれば84歳。あれだけ元気な方でしたから、今でも「よう!」と声をかけてくださるような気がします。

石油業界のドンとして辣腕をふるっておられたので、各方面から恐れられたり、攻撃されたり。いまでもググるといろいろ出てきます(笑)。

でも私は新美さんが好きでした。

外資系の経営者でありながら、堂々たる「国士」で、日本の国益を第一に考えてエネルギー政策にいろいろ口をはさみ、経産省に嫌がられていましたっけ。

まだ日本が貧しかったころにワシントン州立大学に留学。日の丸を背負う覚悟で勉強し、日本人として同大学で戦後はじめてMBAを取られました。ちなみに二人めはオリックスの宮内義彦さんです。

あの鈴木大拙が奥様の親戚だったので、座禅もされていたそうです。「好きでしてたわけじゃなんだけどさ、大拙さんに勧められると断れなくて。」と笑っておられました。

社外取締役を探しておられたトミーの冨山社長に、新美さんをご紹介したときのことです。

新美さんの人柄と見識に惚れ込んだ冨山社長、なんとしてでも社外取締役にご就任いただきたいとお願いされたのですが、新美さんは首を縦に振りません。「忙しいからね」ということで、この日はおしまい。

これで引き下がる冨山社長ではありません。クリスマスの1週間前に、トミーのオモチャがパンパンに入った巨大な紙袋を4つ抱えて新美さんを訪問。「将を射んとせば、まず馬を射よ」ではないですけれど、お孫さんたちのご機嫌を取ろうという作戦でした。

新美さんは小さいお子さんがいる秘書課、社長室などの社員を呼び集め、好きなだけオモチャを取るように命じて、残りをご自分で持って帰られました。このあたりが新美さんらしい。

クリスマス明けに新美さんから電話があり、「おじいちゃま、このかいしゃをたすけてあげて、って孫たちに頼みこまれちゃってさ」ということでお引き受けになられました。

ただ、大問題が残っていました。トミーは全社禁煙。一方、新美さんはヘビー・スモーカー。トミーは新美さんのために応接室をひとつ改装して強力な空調を装備し、万全の体制を整えました。

さて最初の取締役会当日。冨山社長から特別室に招きいれられた新美さんは苦笑い。「これを機会にタバコやめたから、この部屋いらないよ」。

こんな新美さんは、とてもお洒落でした。

当時の小池百合子環境大臣に頼みこまれてクールビズのモデルになることは承諾したものの、用意されたシャツはダサいからといって拒否。 ご自分で仕立てられたのが、この白の2つボタンのスタンドカラーシャツでした。

テヘランの街で見かけて、いいなと思われたのだそうです。

「新美さん、これ僕も真似していいですか?」と伺ったら、ニヤッと悪戯っぽく笑って、「いいよ。でも元永さんだけだよ。」と許可をくださいました。

「新美さんだって、イラン人の真似をされたんじゃないですか。」
「だけどさ、日本では俺が最初だぜ。」

2005年の初夏でした。もう13年もたつのですね。新美さんは2011年に風邪をこじらせて肺炎になり、ほんとうにあっさり亡くなってしまいました。さっとこの世を去られたあたりも、いかにも新美さんらしいような気もします。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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