私がエサ=ペッカ・サロネンを「発見」したのは1985年の3月、厳冬のヘルシンキでのこと。フィンランディア・ホールでのフィンランド放送交響楽団のコンサートに赴いた私は、若くてシャープな指揮者が振ったペトルーシュカに驚嘆し、この人の大成を確信したのです。サロネンは27歳、私は24歳でした。
このとき以来、私はサロネンを追い続けて来ました。おそらく、彼の音源は海賊盤をも含めてほとんど全てを所有しているかと思います。その彼が手兵フィルハーモニア管弦楽団を率いて2年ぶりの来日。1月23日の木曜日が第一夜。曲目は前半がラヴェルのクープランの墓、そしてシベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストは我が国が世界に誇る庄司紗矢香さん。後半はサロネンの十八番の「春の祭典」。
ラヴェル:クープランの墓
ついこのあいだ、マイケル・ブラビンス/都響の名演を聴いたばかり。しかし、サロネンは次元が違いました。音色の鮮やかさと、色彩の豊富さが一段違います。刻一刻と音色が移り変わる様子には、本当に息を飲みました。すごい。こんなふうに演奏してもらえれば、ラヴェルも泣いて喜ぶことでしょう。素晴らしい演奏でした。
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
当初の予定では、ここでサロネン自身の作曲によるチェロ協奏曲が演奏されるはずでした。ところがソリストのトゥルルス・モルクが肺炎になって来日できなくなったため、急遽、ツァーに帯同している庄司紗矢香さんがシベリウスの協奏曲でこの穴を埋めることになりました。とても勇気が要る決断であったと思います。シベリウスは難曲ですし、何よりも庄司さんは同じく難曲であるショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲を弾くのですから。
シベリウスのこの曲については、私たちは昨年にピエタリ・インキネン/日フィルの名演に接しています。ソリストはペッカ・クーシストでした。彼はヘルシンキ・フィルの元コンマスでもあり、卓越した技巧を誇る優れたヴァイオリニストです。クーシストの演奏は、とても個性の強い、まるで彼がこの曲をつくったかのように聴こえる演奏でした。
庄司紗矢香さんの解釈はもちろんそのようなフィンランドの血を感じさせるものではなく、もっと普遍的なもの。かといってただた単に超絶技巧を披露するのではなくて、なんというか「憑依系」の名演であったと思います。
私が唸ったのは、ここでもサロネンの指揮でした。冒頭の最弱音からして素晴らしい。決して「正統的」な解釈ではありません。「正統的」な解釈といえば、それはラハティのシベリウス音楽祭で聴いたオッコ・カムの方が「正統的」であったと思います。ここで展開されたのは、サロネンの独特の音づくりでした。私はこの曲についてはかなり聴きこんでいる自負があるのですけれど、それでも驚く箇所がいくつもありました。ここはこんなに美しかったのか、と。あとはリズムですね。とりわけ第三楽章の躍動感は特筆すべきものでした。
すごい演奏でした。Brava!!
パガニーニ:「虚ろな心」による序奏と変奏曲から、「主題」
庄司さんのアンコール曲。ちょっとユーモラスな、しかしそれはパガニーニですから、超絶技巧の曲。難なく弾き切って、大喝采。オケのメンバーも手放しで拍手してました。
ストラヴィンスキー:春の祭典
思えばこの曲がポピュラーになったきっかけは、今は亡き巨匠、イーゴリ・マルケヴィッチによる名盤であることに異を唱える好楽家はいないと思います。その時のオケこそ、フィルハーモニア管弦楽団。冒頭のソロを吹いたのは、名手セシル・ジェームスでした。この曲はフィルハーモニア管にとっては、いわば名刺代わりの曲とも言えるでしょう。そしてもちろん、サロネンの十八番でもあります。
素晴らしかったです。とりわけ第二部。疑いもなく、私の今までの人生でのベスト。サロネン、凄すぎる。
オケの反応の瞬発力というか機敏さが尋常ではなく、これはまさに「人馬一体」というべきものでしょうね。フィルハーモニアって、こんなにうまかったのか、と再認識しました。
首席ファゴットの女性はめちゃくちゃに巧くて、サロネンも終演後一番に彼女を立たせただけでは足りず、あとでもう一度立たせていました。Emily Hultmark さん、35歳。ちょっとパンクな雰囲気で、銀のカチューシャをつけて吹いてましたが、表現力がすごい。今後注目ですね。
この日はカメラが入っていましたので、NHKでいずれ放映されるかと思います。ファゴット奏者が立たされた時に Brava!! と叫んでいるのは、私です。聴こえるかな?
今年5回目のコンサートでした。