私はこれだけの演奏を今後聴くことができるだろうか?:東京交響楽団第72回川崎定期演奏会

斜陽化しているとの声はあるけれど、日本というのはまだまだ凄い国。今月はいわゆる「世界三大オーケストラ」、すなわちヴィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が同時に来日しているのですから。こんな状況下で日本のオケは何をすべきかという問題提起を神奈川フィルの崎谷コンマスが投げかけておられましたが、ノット/東響が見事な答えを提示してくれました。日本のオケは、彼らに匹敵するレベルに到達しているという答えを。

60年ぶり?の新駅増設工事に伴って山手線が部分運休している日曜日、人ごみをかき分けるようにしてミューザ川崎へ。

曲目は、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」と、マーラーの交響曲第7番。演奏時間だけで2時間弱に及ぶ長いコンサートとなりました。

 

ベルク:「管弦楽のための3つの小品」

「小品」と名付けられているものの、いろいろなものが詰め込まれている曲。下手をすれば晦渋に聴こえてしまうでしょうし、かといって整理整頓して鳴らせば「叙情的」に響くかもしれないけれど、色彩豊かな絵画をモノクロで撮影したようなことになってしまうという難しさ。

ノットが選択したのは、全て鳴らし切る、という真っ向勝負。私はこの曲を詳しく知らないので、ノットの挑戦の成果を味わい尽くすには至らなかったのですが、この曲の美しさ、面白さを垣間見ることはできました。

このように響いてこそ、この曲が「ヴォツェック」に連なるものであることがわかるのですよね。

 

マーラー:交響曲第7番

ほんとうに凄い演奏に接すると、素人の悲しさで、「凄い!」としか言えなくなってしまいます。これからの私の人生で、今回の演奏を超えるこの曲の演奏に接することはできないのではないかと思います。それくらい凄かった。

マーラーの7番は彼の交響曲の中で最も奇怪な曲。正直言って、頭がおかしいのではないかと思うくらいに雑多な要素が詰め込まれ、しかしそれらが美しく連なっているというのが私の理解です。ダイナミック・レンジも広くて、カウベルまで含めた打楽器群の最競奏から、マンドリン1本のソロまで。

通常の指揮者は、この曲を整理整頓します。例えば3年前の山田和樹/日フィルでは、綿密な計算の上で整理された響きが展開され、そういった路線での到達点が示されたように思いました。(ちなみに、この路線で卓越した演奏を聴かせてくれる音源は、レヴァインとブーレーズです。いかにも、という感がありますよね。)

実はノットは2011年にバンベルク交響楽団とこの曲を録音しています。そもそも彼が今日の国際的な名声を築くきっかけは、バンベルクとのマーラー全集だったのです。このときのノットのやり方は、どちらかというと整理整頓でした。

しかし、今回のノットのアプローチは前半のベルクと同じ。全ての音符を鳴らし切る、というもの。8年の歳月を隔てて、まるで別人のようです。

冒頭のテンポは引き摺るような、とんでもない遅さ。多くの好楽家は、あのオットー・クレンペラーが遺した「怪演」と評される音源を連想したと思います。出だしから、とんでもないことが始まる予感と期待に、ホールが満たされました。

そしてそのあとは… 鳴らされない音符はなく、オケはささやき、咆哮するという、凄いことになりました。かといって、例のマンドリンのソロはちゃんと聴こえるのです。ノット、おそるべし。

オーケストラは、その持てる力の120%を出し切ったのではないでしょうか。終演後、やり切った会心の笑みを浮かべていた水谷コンマスの姿が全てを象徴していたように思います。

ノットはスイス・ロマンド響の常任指揮者でもありますが、彼にとってのベストマッチは東響であることを私たちは確信しましたし、彼もそうでしょう。いや、彼はもっと前からそう意図していたのでしょうね。この関係は素晴らしく、それが日本で実現していることは私たちの大きな喜びです。

いやいや、凄かった。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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