星野リゾートの社長である星野佳路さんが書かれた、『星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書』(日経BP社)という本があります。ファミリービジネスの経営者たちとの対談を中心とした、とても優れた本です。その中に、「婿養子が最強の経営者」というセクションがあります(117ページ)。ここで婿養子最強説を唱えているのは星野さんではなく、対談相手の早稲田大学の入山先生なのですが、ちょっと引用してみましょう。
同族企業の強みを生かしつつ、弱みを打ち消す、いわば「いいとこ取り」を可能にするのが婿養子制度です。婿養子ならば、幅広い候補から、長い時間をかけて後継者を選べます。そんな優秀な人材を、養子として創業家の内部に取り込むことで、株主と経営者の一体感も維持できる。(同書122ページ)
うーん、そうでしょうか。「幅広い候補から、長い時間をかけて後継者を選ぶ」というのは、戦前の大阪の船場の老舗ならともかく、現代の婿養子の実態には合っていないと私は思います。多くの場合、娘が選んで来た結婚相手を見込んで後継者にするのが、現代の婿養子だからです。
星野さんご自身は、ファミリービジネス経営者の一人として、入山先生にもろ手をあげて賛成しているわけではなく、次のように述べておられます。
だからといって、娘婿に継がせるのが正解、ということではないと私は思っています。娘婿が継いだときに起こっている現象から、ファミリービジネス成功の秘訣を学び、それを体系化してメソッドとして伝えることが重要であると考えているのです。(同書392ページ)
その秘訣とは何なのか。別の箇所で星野さんはこう述べています。
娘婿の良さは先代との近過ぎず、遠過ぎない絶妙な距離感にあるのですね。(同書182ページ)
これは、そのとおりであると私も思います。であるとすれば、この「絶妙な距離感」をつくり出すために汗をかかないといけないのは、「譲る人」と「継ぐ人」のどちらでしょうか? 私は7割は「継ぐ人」、すなわち婿後継者の双肩にかかると考えています。3割は、レールを敷く「譲る人」の仕事です。
ではどうすれば良いのでしょう。これが今回のテーマです。婿後継者である「継ぐ人」は、何に気をつけ、どう行動すべきかについて、ご案内したいと思います。
ポイントは5つあります。
1)最初は「雑巾掛け」に徹する。
2)「プラス・アルファ」を心がける。
3)リアルな意思疎通を予定に組み込む。
4)焦らない。
5)妬まれて当然と心得る。
順番にご説明します。
1)最初は「雑巾掛け」に徹する
前回は「譲る人」に対して、婿後継者の社内の第一歩として、
『年数を限って(最長でも2年程度)現場経験を積ませます。ここでの目的は社業についての知識を得させるということと、周囲から「一目置かれる」ようになってもらうこと。』
とおすすめしました。この入り口での期間は今後を左右するきわめて重大なものとなります。
それを踏まえて「継ぐ人」つまり婿後継者におすすめしたいのは、「譲る人」が話を切り出す前に、自ら手を上げることです。もし可能であれば、どこの部署でスタートしたいかという希望とともに。
ここで大切なのは、敢えてキツイ現場を志願することです。「譲る人」に対して自らの意欲をアピールすることができますし、ここで頑張ることによって社員から一目置かれるようになるからです。
ただし、キツイだけではなく、その会社にとって大切な現場であることが必要です。肌感覚で現場を知ることは、ビジネスモデルを実体験することに他ならず、今後に向けてきわめて貴重な経験となるからです。
「最初は雑巾掛けから」というのはあまりにも昔風だと思われるかもしれませんが、これを徹底的にこなすことは婿後継者として成功するためには決定的に重要です。
私が存じ上げている方は後継者候補として取締役待遇で迎えられたのですが、まずは現場を知りたいと営業拠点への配属を希望。その会社では始業前に営業拠点のご近所を当番制で掃除するのですが、彼は毎日率先して参加しました。最初は彼をどう扱ったらよいのか当惑していた社員たちも、1年後には彼に心服するようになったとのことです。彼の表裏の無い仕事ぶりは拠点長から「譲る人」に逐一報告されており、「譲る人」は大満足でした。彼はもちろんそのことも計算に入れていたのですが。
2)「プラス・アルファ」を心がける。
最初の現場での期間が終わると、新しい部署に移動し、課題が与えられることになる筈です。その際に大切なのは、単に課題をクリアするだけでなく、「プラス・アルファ」の成果を出すことです。
このことはもちろん婿後継者に限られた話ではありませんが、婿後継者にとってはとりわけ重要です。なぜなら、「譲る人」は後継者候補が頭角を表すことを期待しているのであって、単に与えられた課題をこなすだけでは不十分だからです。
難しいのは「プラス・アルファ」の中身です。大切なのは量ではなく、質です。
ある部門の業績改善を課題として与えられたとしましょう。「継ぐ人」がひたすらに頑張って売り歩き、成果をあげたとしても、「譲る人」に訴えるポイントは低いと思います。体力とか勤勉さに感心することはあっても。
一方、未踏の市場を開拓したり、あるいは新しい売り方を開発したとすればどうでしょうか。これは後継者としての資質を大いにアピールすることになるでしょう。後継者の仕事は、いずれその会社に新しい地平を開くことであるからです。
3)リアルな意思疎通を予定に組み込む。
これも婿後継者に限らず重要な点で、第二章で詳しくご説明します。が、婿後継者として特に気をつけなければならないポイントであると言えます。なぜなら、実の息子や娘と比べると「譲る人」と一緒にすごしてきた時間が圧倒的に少ないため、「譲る人」から見ると婿後継者が何を考えているのか予測し難いからです。
私がいつもおすすめしているのは、少なくとも1週間に1度、「譲る人」と「継ぐ人」が1対1で過ごす時間を定期的に予定に組み込むことです。そして、その予定の存在を社内に周知すること。
「何かあったら報告する」というのはダメです。そうすると忙しさに紛れて意思疎通が途切れがちになってしまいます。するとどうなるか。「譲る人」が「俺は聞いてないぞ!」と怒る局面が増え、それは相互不信の危険な火種になるのです。
とくに報告することがなくても話す時間を確保する。これが重要です。週に一度、お弁当をとって、会議室で一緒に食べるのでも結構です。そして、この定期的な予定は、最優先で確保すること。婿後継者にとっての「命綱」のようなものだと考えてください。
なぜ社内に周知すべきかというと、余計な「ご注進」を予防するためです。
「継ぐ人」が社内で存在感を持ち始めると、それを快く思わない人が一定数出てきます。そういう人々は「譲る人」のところへこっそり出掛けて行き、「ご存じないと思いますが…」と耳打ちするのです。こういった行動を根絶することはできませんが、「譲る人」と「継ぐ人」の間のコミュニケーションが密であることを示すことにより、かなり減殺することができます。そう、危険な火種が生じることを避けるのです。
4)焦らない。
「プラス・アルファを心がけろと言っておきながら、「焦るな」とは何事だ」と思われる方もおられるかもしれませんね。私がここで申し上げたいのは、承継のステップを段階的に踏んでいく際に、焦りは禁物であるということです。
承継のタイムテーブルを設定するのは「譲る人」です。そのタイムテーブルを早めようとすれば、余計な疑心暗鬼を招く恐れがあり、全く得策ではありません。大切なのはプラス・アルファの成果を上げて、「譲る人」の中での自らの評価を高めることです。それが続けば、「譲る人」のほうから、タイムテーブルを加速化してくれるはずです。
5)妬まれて当然と心得る。
ファミリー・ビジネスですから、息子、娘が後継者指名される場合には、「まあ、仕方ないか」と受けとめられます。ところが、婿後継者となると、そうは問屋が卸しません。社員はもちろんのこと、傍系の親戚筋から、好意的に迎えられることはまずありません。むしろ、妬まれることを覚悟しなければなりません。たとえ、その会社の窮状を救うため、火中の栗を拾う覚悟で入社したとしてもです。
この妬みに対して、婿後継者の立場からの積極的な打ち手はありません。最善の策は、覚悟して、無視すること。いま妬みによって反発している人々は、婿後継者が地位を確立していくにしたがって、逆に擦り寄ってくるようになるのですから。
この点で気をつけなければいけないのは、むしろ「譲る人」です。社内外から届いたり、あるいはわざわざ「ご注進」されてくる婿後継者の「評判」のベースには、この妬みが潜んでいることを認識することが必要です。ゆめゆめ、鵜呑みにされませんように。
ここまで見てきたように、婿後継者として事業承継を成功させるのは、なかなか難儀なことです。今回、冒頭でご紹介した『星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書』では、京都産業大学の沈先生の論文が紹介されています(177ページ)。この論文は、婿養子の方が、創業者の血縁(息子、娘のことですね)が後継者となる場合よりも業績が良いという結果を示しているのです。(ROAの比較、という限定ですけれど。)
婿養子として無事に承継するまでに越えなければならないハードルを考えれば、むしろ当然の結果かもしれません。 が、この調査からは承継の途中で不適格の烙印を押された婿後継者が漏れてしまっているように感じます。実の息子、娘であれば、承継のプロセスでパッとしなくても、社員が支える形で承継できます。婿養子の場合には、そこは難しくなります。社外に出されてしまうということも、ないわけではないのです。
さて、3回にわたって婿後継者について考えてきました。これで第二節を終わります。次回以降は、第三節として、「中継ぎ」は有効な手段といえるのか、について考えます。
親と子の承継の間に第三者を挟むとき、第三者としては、いわゆる「番頭さん」の場合と、外部から「プロ経営者」を招く場合があります。とくに後者は、「継ぐひと」に学びの機会を与えるという期待もあり、世間では良い方法と評価されているようです。
しかし、私は実務者として、いずれの場合についても積極的にはおすすめしません。何が問題であると考えているのか、ご説明申し上げますね。