前回(事業承継講座(1))の最後で、これからの事業承継では、「一代一業」を考えないといけないのではないかと申し上げました。
まず最初にお断りしなければならないのは、「一代一業」とは、代がかわるごとに新しい事業を始めることをお勧めしているのではありません。それでは事業承継ではなくなってしまいます(笑)。
それでは「一代一業」とは何でしょうか?
「一代一業」とは
前回、事業承継は駅伝に似ていると申し上げました。 中継所で先代から事業DNAというタスキを受け取って走り始めるときに、
1)承継した事業で、新たな展開を試みる
あるいは
2)小さくても新しい事業領域に進出する
こういったことを区間走者としての使命として考える。 これが私の考える「一代一業」です。
実は、代を重ねるにつれて成長しているファミリービジネスを拝見すると、意識する、しないに関わらず、ここでいう「一代一業」に取り組んでこられている場合が多いことに気がつきます。
「たねや」の事例
和菓子の世界で存在感を増している「たねや」さんを例にとってみましょう。(「たねや」当主の山本昌仁さんは「近江商人の哲学」という素晴らしい本を出されておられます。以下はこの本に基づいてのご紹介です。)
「たねや」さんはもともとは文字通り野菜の種子を売っておられたとのことですが、ここでは和菓子に商売替えした四代前を実質的な創業者としてとらえることにいたしましょう。
初代は京都で修行した後、地元の近江八幡で開業。このときは普通の和菓子屋さんでした。 ただし、京都で修行してきたというプレミアム感を活かして、値段を高めに設定。このことが、のちのち地元での「たねや」のイメージにプラスに働くことになります。
二代目(現当主の祖父)は冠婚葬祭での進物マーケットに注力し、「たねや」=高級和菓子 という地位を築くことに成功しました。ここで「たねや」は近江八幡きっての銘店として認められるようになります。
二代目が早逝したことにより若くして承継した三代目(現当主の父)は冠婚葬祭という B to B ビジネスから、店舗での対面販売へと大きく方向転換しました。この三代目が非常に商才のある方で、相次いでデパートに出店し、「たねや」は一気に全国区の和菓子屋へと成長を遂げました。
そして現当主は三代目の路線を継承しつつも、近江八幡旧市街のはずれにラ・コリーナという大規模な自然融合型の施設をつくりあげ、年間300万人を誘致することに成功しています。「モノよりコト」の路線ですね。
こうしてご覧になっていたたくと、納得されますでしょうか? 事業DNAを承継しながら、それぞれの代で新たな展開を試みられてきたことが、「たねや」さんの成長につながっているのです。
いつ頃から「一代一業」に取り組むのか
駅伝の例で言えば、タスキを受け取ってから考えるのでは遅すぎます。駅伝だって、走る前にコースをイメージ・トレーニングしますよね?
自分の代になったらどんな「一代一業」を試みるのか、これを考えるのが後継者として必要な準備です。ですので、後継者であると自認した瞬間から考え始めることをおすすめします。
実行については、話が別です。
前述の1)で申し上げた、本業での新展開に着手するのは、やはり当主となってからでしょう。「たねや」さんでも、そのあたりはきっちりしておられたようですよ。
バトンを持って走る人間は一人です。私が常務とか専務とかいう肩書だけをもらっていた時代、経営戦略にせよ、商品開発にせよ、いっさい口をはさませてもらえませんでした。何をいっても、父から即座に否定される。何もさせてもらえないので、悶々とした日が続きました。
この「悶々とした日」に、必死になって考えることで、当主になってからの実行策に深みができるのです。
2)の、小さくても新しい事業領域の開拓については、承継のステップの一つとして活用する手もあります。後継者の訓練として、その領域を任せてしまうのです。
「たねや」さんの場合は、それは洋菓子でした。
父が私の洋菓子を任せたのには理由があります。洋菓子はほとんど力を入れていない分野でしたし、売上は全体の一割にも満たなかった。もし私が失敗しても、和菓子が絶好調なので、いくらでもカバーできます。息子に裁量権を与えて、「現場で育てる」には、もってこいの分野だったのでしょう。
この新しい事業を、後継者の会社として興すというのも一案です。この会社がうまく成長できれば、本業での承継のタイミングでこの会社の株式を本社に売却し、その資金を相続税に充てることができる可能性があるからです。
本日は「一代一業」についてご説明いたしました。次回は後継者の選び方について、ご一緒に考えたいと思います。