「奇貨」という言葉を思い出した宵:東京交響楽団第681会定期演奏会

コロナウィルスのため、日本だけでなく世界中の音楽界はぐちゃぐちゃになってしまいました。名門メトロポリタン歌劇場のオケは全員がレイオフになってしまいましたし、多くのオケが存亡の危機に瀕しているのが現状です。そんな中、なんとか日常を取り戻そうという英雄的な努力が行われていて、そのひとつが金曜日夜の東京交響楽団の演奏会でした。

他のオケが休憩無しの1時間程度のプログラムでそろそろと始動しているのに対し、今までと同じ休憩を挟んでのフルコースのプログラム。もちろん十全の対策を講じてのことですが、そこには楽団の存亡を賭ける果断さを感じます。

プログラムは、本来予定されていた定期演奏会のもの。もちろん、指揮者とソリストは来日できないために代役を立てることになりました。しかし、結果としてはそれが良かった。「史記」にある「奇貨」の逸話を思い出しました。

さて曲目はというと、皮切りはベートーヴェンの序曲「プロメテウスの創造物」。そして同じくベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。後半はメンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」。ピアノは田部京子さん、指揮は飯守泰次郎さん。

ベートーヴェン:序曲「プロメテウスの創造物」

正直言って、名曲というわけではないですよね。そんなに演奏されることもないですし。しかし、昨夜は水谷コンサートマスターが入場した時点で万雷の拍手。水谷さんが機転を利かせてオケ全員でお辞儀。そして、本当に久しぶりに生の音に接することができる期待感が高揚する中で飯守マエストロが入場。ここでもすごい拍手でした。

で、冒頭の和音。ずれました。実は飯守マエストロを知る好楽家はみんな心配していたんですよね。アインザッツが明確な指揮ではないので。(齋藤秀雄先生の愛弟子なのに、考えてみれば不思議です。)オケの力みもありました。

まあ、でもそれもご愛嬌で、演奏は力の入った(入りすぎた、という声もある)立派なものでした。みなさん、「ああ、オケの音って、いいよね」と感じたはずです。私は涙が出るかと思いました。

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番

この曲も私は意外に聴く機会が少なくて、生で聴いたのは2017年のチョ・ソンジンがサロネン指揮のフィルハーモニア管をバックに弾いたのが最後かと。このときはサロネンの伴奏には感心したものの、ピアノには落胆した記憶があります。案外と難しい曲ですよね。

昨夜のソリストの田部京子さんを聴くのは久しぶり。個人的には田部さんといえばブラームスという印象が強いのですが、本当に立派なベートーヴェンでした。美しい女流ピアニストには失礼かもしれませんが、墨痕豊かな雄渾な演奏。「ああ、ベートーヴェンだ」と思いながら聴きました。

木管陣との掛け合いも見事。オーボエの荒さん、ファゴットの福士さんも一歩も引かずにピアノに対峙。水谷コンマスのリードも、いつもながら素晴らしい。この日のオケは84ー3と小型だったのですが、とてもよく鳴っていました。

休憩

バーは休業。トイレの外の廊下の床にはソーシャルディスタンスを示すステッカーが貼られていて、スタッフの人もフェイスシールド着用。でも、考えてみればお客を半分しか入れていないので、トイレの列が長くなることはありませんでした。

メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」

この曲も有名なわりに意外と演奏されないのですよね。音源だとオットー・クレンペラーのものが天下の名盤として知られていますが、実は最終楽章を編曲したもの。私の実演体験は、ペーター・マーク/都響に遡ります。なんと、1983年。これは名演でした。(CD化されています。)

というわけでこの曲、実に久しぶりに真剣に聴きました。面白い。シューマンとは違って、メンデルスゾーンのオーケストレーションは上手ですね。そして、今回は細かいところまでよく聴こえるので、一層楽しむことができました。

今回の公演での低弦はチェロ4本、コントラバス3本だけなのですが、決して軽くなることなく、全体としては重厚な響き。トロンボーンが入らないため、ホルンの2、4番とファゴットも響きの土台を支えることになるのですが、ここでも良く鳴ってました。

もちろん東響の音なのですが、ところどころでゲヴァントハウス管を連想させる響きが垣間見えることがありました。不思議に思ったのですが、よく考えてみれば作曲者のメンデルスゾーンの頭の中で鳴っていたのは、彼が常任指揮者であったゲヴァントハウス管の音であったはず。そう思うと不思議でもなんでもないのかもしれません。

素晴らしい演奏でした。コロナ云々を抜きにして、大名演であったと思います。

プログラミングの「奇貨」

今回はスダーンのプログラムをそのまま引き継いだことも成功の一因だったかと思います。

「田部さんだから、ブラームスかシューマン。飯守さんだから、ワーグナーかブルックナー」とプログラムを変更していたら、ここまでの演奏会にはならなかったのではないでしょうか。

とくに飯守さんのご年齢(9月で80歳)を考えると、おそらく彼のメンデルスゾーンを聴けるのはこれが最初で最後でしょう。20年にわたってバイロイトで副指揮者を務めた飯守さんのドイツ音楽での深い造詣の一端に接することができたのは、とても幸せなことでした。

東響、素晴らしい

なんと言っても水谷コンマスのリード! 視覚的にも、音楽的にも、そのリーダーシップは如実なものがありました。そして東響の美点である、指揮者への食いつきの凄さと、管の緊密なアンサンブル。コロナ対策で管楽器は普段より1.5倍くらいの距離を置いていたように見えましたが、却ってそれが互いに聴き合うことの意識を高めたのではないでしょうか。

木管首席は全て女性。でも、勝負どころで突っ込む果敢さはすごいものでした。

東響もコロナ禍で経営が苦しいと聞きますが、これだけのオケを潰してはなりません。私たち一人一人が身銭を切って支えないといけませんね。

分散退場

終演後、座席配置によって分散退場となるアナウンスがありました。看板も。

どうするのかなと思っていたら、二階席を先に出すという程度の大雑把なものでした。ちょっと拍子抜けでした(笑)。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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