私、個人的に、「優れた指揮者以外は振ってはいけない曲」というカテゴリーがあると思っています。シューベルトの「グレイト」と「未完成」、シューマンの4番、マーラーの9番、シベリウスの4番など。「グレイト」については、故岩城宏之さんもエッセイの中で同趣旨のことを書かれておられます。ヴェルディのレクイエムも、このカテゴリーに入る曲かと。
今回の演奏会は、本来であればダニエレ・ルスティオーニが指揮するはずでしたが、コロナ禍により来日不能となり、アンドレア・バッティストーニが代役を務めることとなりました。私はそのニュースを聞いて急遽聴きに行くことにしたのですが、私のような好楽家もけっこうおられたのではないでしょうか。
それにしても、今更ながらに思うのですが、凄い曲です。これをミサの形式の中で、教会堂で演奏するということが想像できません。生半可な教会堂だと、倒壊してしまうのではないでしょうか(笑)。でも、一度でいいからちゃんとしたミサの形式で、この曲を聴いてみたいものですね。
モーツアルトのレクイエムに関しては、ケネディ大統領の葬儀のミサの録音が残っています。枢機卿が司式する儀式で分断されるので、コンサートホールで聴くのはずいぶん印象が異なリます。(演奏はエーリッヒ・ラインスドルフ指揮によるボストン響。優れた演奏です。)
さて、バッティストーニ、素晴らしかったです。ホールのすべての空間を支配し、バッティストーニから放射されるエネルギーがホールを満たします。
彼については、「色彩豊かな」とか「劇的な」という形容詞が使われることが多いのですが、なによりも音響の造形力が卓越しているというのが私の見立てです。それと、オーケストラをコントロールする力。ホールを揺るがす最強奏の中でも聴こえるべき楽器が聴こえ、バランスが崩れない。これは凄いことです。
加えて、聴衆をも支配する力。今日の終曲後、バッティが手を下ろし、肩の力を抜くまで、30秒以上の沈黙が続き、時間が完全に停まりました。これも、めったに無いことです。
私は声楽には暗いので、ソリストたちについてのコメントは控えます。ばらつきがあったように感じましたが… 合唱は良かった。さすがは二期会。
オケは東フィル。全体としては良かったのですが、管楽器についていうと、ここでもばらつきが。オーボエの荒川文吉さん、ピッコロの神田さんは、おそらくはソリストのパートをも読み込んだ上で自分のソロを吹いているのだと思います。そこにバッティがニュアンスを付け加えるので、素晴らしいソロになるのです。そうじゃなくて、自分のパートだけを吹いている人たちもおられて、どうしてもそこに差が出てしまう。というか、そのように私には聴こえました。
ファゴットはエキストラの女性の方でしたが、踏み込んで吹いていて、立派でした。東フィル首席のヨンジンさんのお弟子さんで、チェ・ユノさんという方だそうです。ヨンジンさんのようなヴィヴラートの効いた明るい音色ではなく、カッチリした、どちらかというと暗めの音。レクイエムなので、曲想に合わせておられたのかもしれませんが。
演奏会は良かったのですが、コンサートのロジスティクスには大きな問題がありました。聴衆全員に感染症対策のための連絡カードを記入させるのにもかかわらず、開場は開演の30分前。この手際の悪さのために長蛇の列が。カード記入のスペースも狭いので「密」な空間となってしまいました。これでは藪蛇ですよね。