昨年3月に急病で来日できなくなったヘンリック・ナナシ。前回振る予定であったプログラムからは一転して、故国ハンガリーの名曲での勝負。このひと、ベルリンのコーミッシュ・オパーで実績をあげていながら私にとっては音源を含めて未聴なので、期待を抱いてサントリー・ホールへ。
ちなみに前回予定されていたプログラムは:
モーツァルト (ブゾーニ編) : 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
ブゾーニ : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35a (ヴァイオリン : ルノー・カプソン)
R・シュトラウス : 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」
という凝ったもの(とくに前半)。ナナシがドタキャンで穴を開けたとき、読響事務局は大慌てだったらしいのですが、たまたまN響の山陰公演を振っていたステファン・ブルニエのスケジュールが空いていて、代役として登板。しかも、それなりにちゃんとした演奏を披露して喝采を浴びたのでした。(このプログラムを引き受けるというのは、度胸と実力が無いとできないことです。)
さて、今回の曲目はというと、前半がコダーイのガランタ舞曲とサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番(ソロはリュカ・デュパルク)。後半はバルトークのオケ・コン。真ん中のピアノ協奏曲をリストにでも替えれば、オール・ハンガリー・プログラムになるのだけれど、そこはソリストのレパートリー優先ということでしょうね。
ナナシという指揮者
非常に鋭角的な指揮をする人で、私はゲオルク・ショルティを思い出しました。指揮棒を頬に突き刺しながら、ほとばしる鮮血をものともせずに振り続けた逸話のあるショルティ。1975年生まれのナナシにとって、同郷出身の大指揮者ショルティはアイドルであったのではないでしょうかね。
このひと、能力があることは疑いないでしょう。耳も良さそうですし。限られたリハーサルの時間の中で、一定以上の成果を挙げないといけない現代に於いては、とても重宝される指揮者であると思います。そういう意味では名を成すことは間違いないでしょう。
しかし、「名を残す」かというと疑問符が。そもそもショルティ自体が、生前あれだけの名声を誇ったわりに、遺された録音の評価はというと、ショルティというよりもカーショウの作品というべきリング四部作と、初期の録音であるR.シュトラウスのオペラのみかと。ナナシについても、そうなる危惧を私は感じました。
コダーイ:ガランタ舞曲
これはフリッツ・ライナーの十八番だった曲。クラリネットの力量が試されるソロがあるのですけれど、首席の金子さん、ブラヴォーでした。実は昨年、高関さん/東京シティフィルでこの曲をやったのですが、そのときもエキストラで金子さんが見事に吹いているのですよね。
ナナシの指揮は、これで「舞曲」?と思わせるものでしたけれど、それはそれなりに立派な演奏でした。こういうのも「あり」でしょう。
サン=サーンス:ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」
奥さんと別れて傷心のサン=サーンスが、エジプトに逗留していたときにつくった曲。ソロのリュカ・デュパルクはオリエンタルな雰囲気を強調することなく、圧倒的な技巧で演奏。いやいや、素晴らしい。
敢えて、無い物ねだりをするとすれば、スタインウェイではなく、プレイエルのピアノで聴いてみたかったですね。
バルトーク:オーケストラのための協奏曲
この演奏については、賛否が分かれると思います。まず、ハンガリーの土着風味は皆無とは言わないまでも、隠し味のレベルです。そして、テンポが早い。したがって、全然歌わないことになります。その分、構造がくっきり浮かび上がるので、それはそれで面白く聴けるのです。
ナナシの指揮は、今となっては過去のスタイルとも言うべき、オケを追い込んで煽るものであるように私には聴こえました。読響は上手いので、一定の成果をあげることは出来たかと思います。が、楽員の自発性となると、それはどうなのでしょうかね。こういったあたりも、ショルティを連想させるところでした。少なくとも私にとっては。
しかし、これだけ歌わない指揮者がオペラでキャリアを積んできているのいうのが私には解せません。これは彼が振るオペラを聴いてみないことには答えが出ませんね。
オケについて
木管はフルートがドブリノフ、オーボエ蠣崎、クラ金子、ファゴット吉田という、読響のベストな布陣。さすがに上手い。オケコンの終演後、ナナシが真っ先に立たせたのはファゴット・パートでした。うん、わかってるね、ナナシくん。
チェロも弦バスもよく鳴ってました。いまひとつだったのはホルンですかね。日橋さんであれば、完璧であったのでしょうけれど。
ナナシ、賛否両論あるでしょうけれど、少なくともコルネリウス・マイスターよりも有能であることは明らかなので、これから毎年来ることになるのではないでしょうか。