このあいだ天神橋筋商店街を端から端まで歩いたとき、「天二」で天牛書店に足を踏み入れて購ったのがこの本。パラパラめくるだけでファナティックなものを感じたわけですが、ちゃんと読むと、非常に危険な本でした。
いわゆる書評本を読む楽しみには2つあると思います。一つは、自分も読んだことがある本について、著者の意見を読む楽しみ。これは音楽会批評を読むのと同じようなもので、「ああ、やっぱり」と、「え? なんでそうなるの?」に分かれます。
もう一つは、「こんな本があるのか!」と刺激される楽しみ。これは大きいですよね。
今回の「絶版文庫発掘ノート」は、後者の意味で非常に危険な本であると言えるかと思います。
この本が書かれたのは1983年。この時点で絶版であった本を古本屋を渉猟して見つけていくという内容で、そういう喜びを個人的に味わったことのある人間にとっては禁断の麻薬のような魅力があるのです。
ちょっと引用してみましょうか。
午後、神保町。収穫なし。渋谷に戻ってから家に一番近い青山のT堂に立ち寄って、一渡り文庫本専用の棚を見渡したが、めぼしいもの無し。単行本の棚を振り返って、ここはいつも単行本には外れが多いなんて思いながら中段の棚に目をやると、薄れきったクリーム色の背地に黒で『日ざかり』(エリザベス・ボウエン、吉田健一訳、新潮社)がそこにある。次の瞬間、私はそれを手にして値段を見ていた。「二百五十円」。神田で七千~八千円の代物である。私の胸は激しく高鳴った。ときめいた。が、ポケットを探ると、なんと小銭で百八十円しかない。その時の絶望感。咄嗟に、私は腕時計をカタにしてそすら思いつめたが、思い返し、番台で新聞を読んでいる老婆に「あの、すみませんが、この本ちょっと預かっていてもらえませんか。うち、このすぐ近くですから、五分以内に戻ってきますから。」(中略)熱にうなされたように私は走った。何しろこの四年間、ずっと探し続けた名作なのだ。
「うん、わかるよ」と思った人は、この本を読んではいけません(笑)。
1983年と今とで何が違うかというと、それはアマゾンの存在です。1983年当時は足を棒にして探して、それでも見つからなかった本が、今ではアマゾンで一発で検索できるのです。ただし、掘り出し価格ということはなく、むしろ高値で。
この本の最初の50ページを読みながら、私は4冊を発注しました。そういう意味で、極めて危険な本なのです。これは。
著者の岩男さんは、湯布院にお住いの東洋医学の治療家でいらっしゃるようです。ご健在であればお会いしたいと思いますが、もう36年前ですからね、どうでしょうか。