第三節 「中継ぎ」は有効な手段か?〜社内登用の場合

「子供に経営を継ぎたいのだけれど、まだ若い。中継ぎを間に挟むのはどうだろうか?」という相談をいただくことがあります。「譲る人」が60代半ばで、「継ぐ人」が30代前半というのが典型的なケースです。

世の中では、親と子の承継の間に他人を挟むことに対して好意的な意見が多いように思います。親子の情を外して、「継ぐ人」を鍛えるためには有効な手段であるというのがその理由です。

しかし、実務者として、私はおすすめいたしません。実際にはうまく行かず、関係者一同が苦労することの方が多いからです。どうせ苦労するのであれば、「継ぐ人」に直接承継することで苦労する方が遥かにマシであると私は考えています。それはなぜかをご説明するのが、第三節のテーマです。

大雑把に言って、「中継ぎ」を二つに分けることができます。一つは社内からの登用。いわゆる「番頭さん」あるいは「譲る人」の「右腕」を後継社長に指名する場合です。「譲る人」の弟を起用するのも、このバリエーションと言えるかと思います。

もう一つは、社外から経営者を招聘する場合。最近では、いわゆる「プロ経営者」を招くことが増えているように思います。ひと昔前には、メインバンクから招聘するパターンもありましたね。

私は、いずれもお勧めしないという立場です。まず今回は、中継ぎ経営者を社内から登用する場合についてご説明することにいたしましょう。

ファミリービジネス界隈には、なぜかしら「番頭さん待望論」とも言える空気があります。先だって大戸屋のお家騒動が起きた際にも、「良い番頭さんがいたらねぇ」というコメントがあちこちで聞かれました。

確かに江戸後期から明治にかけて、大店(おおだな)やその発展形である財閥では「大番頭」と称される経営者の活動が見られました。しかし、これらの人々は所有と経営が分離した体制の下で経営の采配をふるっていたのであって、事業承継において中継ぎ経営者として登板していたわけではありません。

そして第二次対戦後、いわゆる「番頭さん」が中継ぎ経営者として事業承継を成功させた事例となると、皆無とは言いませんが、非常に少ないのではないでしょうか。(このように申し上げると、「トヨタの奥田さんはどうなの?」という質問が出るかと思います。この点に関しては、小説ではありますが、「トヨトミの野望」(梶山三郎著)をお読みいただくのがよろしいかと。)

「番頭さん」が間に入っての事業承継とは、私に言わせれば「無いものねだり」の幻想です。事例の少なさが物語るように、うまく行かない理由があるのです。

社内からの中継ぎ登用がうまく行かない理由は、ざっくり言って3つあります。

1)経営者としての視野が狭くなりがち

2)社内からの妬み/嫉みに妨害される

3)モチベーションを維持することが難しい

順を追ってご説明しましょう。

1)経営者としての視野が狭くなりがち

「番頭さん」にしても「右腕」にしても、その役割は経営者を補完することです。経営者が不得意な部分を補う、と言い換えてもよいでしょう。多くの場合、経営者はその会社のビジネスモデルである事業部門(いわゆる「本業」の部分)を率いていて、補佐役はそれ以外の部分を差配しています。創業経営者の補佐役の場合、とりわけそれが顕著です。

ファミリービジネスの場合、経営者(「譲る人」ですね。)の在職年数は長くなるのが普通ですから、補佐役も補佐する分野に関しては超ベテランということになり、その結果、本人も自信満々になりがちです。そこに落とし穴があるのです。

経営者を補佐する分野について通暁していても、実は本業をよくわかっていないとなると、そもそも中継ぎ経営者として機能できるか、実のところおおいに疑問です。経営者としての視野が明らかに狭くなってしまっているからです。

本人が視野が狭くなっていることを自覚していればよいのですが、そこが案外難しい。先ほど「落とし穴」と申し上げたのがそのことです。中継ぎ経営者として指名されるくらいですから、社内ではナンバー・ツー的な地位にあることが多いはずです。となると、実はわかっていないことについても、わかっていると思ってしまいがちなのが人間というものです。しかも社内から表立った批判は出にくいという状況。なにしろ、超ベテランですから。

「譲る人」が創業経営者である場合、さらに困った状況が生じる恐れがあります。この場合、補佐役にとってのリーダーとしてのロールモデルが創業経営者である可能性が高く、創業経営者にありがちなトップダウンなスタイルを継承しがちです。しかし、そのスタイルはゼロから叩き上げた創業経営者だからこそ許されるものであって、補佐役に過ぎなかった中継ぎ経営者が踏襲するのには無理があります。最悪の場合、社内の士気は著しく低下してしまうでしょう。

このように、社内から補佐役を中継ぎ経営者として登用する場合、そもそも経営者として機能しうるかについてはおおいに疑問です。

仮に、経営者として機能した場合でも、手強いハードルが残ります。それが次にご説明するポイントです。

2)社内からの妬み/嫉みに妨害される

primus inter pares という言葉をご存知でしょうか。ラテン語で、「同輩中の第一人者」と訳します。大日本帝国憲法では、現行憲法に比べて内閣総理大臣の権限が弱く、あくまでも天皇を補佐する大臣の中での首席的な存在でしかありませんでした。このため、一人の大臣が徹底的に抵抗することにより、場合によっては内閣総辞職に追い込むことが可能でした。

ファミリービジネスの経営者は、例えて言えば「絶対君主」です。これに対して、社内から登用される中継ぎ経営者は、たとえ非常に有能であったとしても、「同輩中の第一人者」の地位を越えることができないのが現実です。なぜかというと、社内が納得しないからです。

ファミリービジネスの場合、往々にしてその組織はピラミッド型ではなく、文鎮型です。部門長クラス、場合によっては課長クラスであっても、指揮命令系統上、経営者にが直結しています。このため、たとえナンバー・ツーであろうとも、経営者との関係上では自分たちと同格であるという意識が、少なくとも役員クラスには潜在しています。するとどうなるでしょうか? 社内から登用された中継ぎ経営者に対して、「なんであいつが」という反発が生まれてしまうのです。

この反発が公然とした「反抗」にまで発展することは稀ですが、しかし「非協力」をもたらします。典型的には、「俺、そんなことを聞いてないよ」といった類の。この「非協力」を「協力」に変えるためには、かつて同輩であった人々を心服させることが必要ですが、それは中継ぎ経営者にとっては至難の技です。なにしろ、期間限定の存在ですから。

男性からの妬み/嫉みは、実のところ、かなり深刻になりうるのですよね。

3)モチベーションを維持することが難しい

世の中の「番頭論」が触れていそうで触れていない論点がこれです。「番頭さん」あるいは「右腕」といった補佐役のモチベーションはどこにあるのでしょうか。

「譲る人」と「継ぐ人」の間に入ってその会社をきちんと経営し、「継ぐ人」を教育しつつバトンタッチするというのは至難の技です。経営者としての力量が要求されるだけでなく、相当なストレスにさらされるわけですが、そんな状況で自分を奮い立たせるモチベーションを、どこに求めるべきなのでしょうか。

「譲る人」への忠誠心というのは、ありうるでしょう。ここまで育ててくれた恩返しということですよね。しかし、「継ぐ人」に対して同様の忠誠心を持てるかというと、それは難しいのではないでしょうか。「継ぐ人」に対して、擬似的に父親のような愛情をもって接し、育成するというのはかなりハードルの高い仕事ですから。

この困難な仕事に対して、金銭的に報いるというのは選択肢としてはあり得ます。ただ、この場合には相当な報酬を支払うということになりますが、それが社内にバレると深刻な反発を招くことになってしまいます。

つまりは、中継ぎ経営者がモチベーションを保つのは相当に難しいということになります。モチベーションを維持することが難しい以上、成果を期待することも困難ですよね。

ここまで見てきたように、社内から登用された「番頭さん」ないし「右腕」が中継ぎとしての期待に応えるのは本当に難しいのです。

締めくくりとして、社内からの中継ぎ社長を登用した結果、会社の成長に支障をきたすに至った事例をご紹介しましょう。 ちょっと怖い話です。

社内からの中継ぎ登用の失敗事例

舞台は明治初期に創業した伝統あるファミリービジネスのメーカー。現社長(以下、「Aさん」と呼ぶことにします)は次男なのですが、長男が大学を卒業した時点で事業を継がないと宣言したため、後継者に指名されました。他所での経験を積もうと、金融機関に就職。お父様が元気で、戻ってくることを急かすこともなかったので、課長に昇進する直前までの20年弱を、そこで過ごしました。

お父様に進行性の病気があることが発見されたため、Aさんは金融機関を辞め、ファミリービジネスに戻ることを決断しました。後継者なので、取締役として入社。お父様はその10年くらい前に会長に上がり、社内の方を中継ぎ社長に起用。Aさんが入社した時点の社長は、中継ぎとしての2人目でした。

入社に伴うバタバタが一段落したAさんは、社内の人材状況を調べ始めました。もちろん、将来社長になったときのために。しばらくして、奇妙なことに気がつきました。Aさんよりも下の世代には、それなりに人材がいるのですが、お父様とAさんの間の世代には、言われたことをこなすだけの、真面目ではあるけれどリーダーシップに欠ける幹部しかいないのです。社長に尋ねてみても、そもそもそれくらいの人材しかいないのですという答えが返ってくるばかり。

Aさんは、ちょっと心を許してくれるようになった年下の部下を飲みに誘い、それとなく事情を探ってみました。そこで明らかになったのは、衝撃の事実。実は、優秀な人材はいたのですが、登用されないことに腐って辞めたり、あるいは反発して左遷されて本社には残っていないということでした。

何が起こっていたのでしょうか?

Aさんのお父様(会長)は、Aさんを後継者とすることについて若干の不安を抱いていました。後継者として育ててきたのはAさんのお兄さんであったという事情によるのかもしれませんが、Aさんが戻ってきたときに、社員たちに軽んじられるのではないかと危惧しておられたようです。その意を汲んだ(中継ぎの)社長たちは、Aさんのライバルたりうる人材を周到に排除し続けました。そのことは、彼らの保身にとってもプラスなことでした。自分たちを脅かす下の世代の芽を摘むわけですから。

結果として生まれたのは人材の不毛地帯。お父様の逝去にともない社長に就任したAさんは大変な苦労を強いられることなったのです。

今回は「中継ぎ」として社内人材を登用する場合を扱いました。次回はいわゆる「プロ経営者」を招聘する場合についてご案内いたします。ここでも私は基本的に反対の立場を取ります。ただし、プロ経営者を中継ぎに登用する意外なメリットがあることは認めます。この「意外なメリット」についても、ご説明させていただきます。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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