第二章 「継ぐ人」の育て方〜幼少期、学生時代、そして継ぐ会社に入るまで

前回までの7回を費やして「継ぐ人」の選び方についてご説明しました。いよいよ今回から後継者の育て方について考えることといたします。

ファミリービジネスの事業承継での「継ぐ人」の歩みを誕生から時系列に沿って追ってみると、次のようになります。

A「継ぐ人」であることを自覚する

B「自分が継ぐ」と周囲に宣言する

C 学生を終えて、社会に出る

D 継ぐ会社に入る

E 社内で「継ぐ人」として育てられる

F「譲る人」と並走して経営する

G「譲る人」の引退とともに、単独で経営を掌握する

第二章では、AからDまでを扱います。標準的なケースだと、生まれてから二十台の後半あるいは30台前半までということになりますか。長い期間ですので、3つの節に分けます。

第一節 自覚から宣言まで

第二節 社会に出るまで

第三節 継ぐ会社に入るまで

それぞれのステップで、「継ぐ人」がどのように準備すべきか、そして「譲る人」とその周囲はどのようにサポートすべきなのかを実例に基づき、実務者としての視点からご案内します。

第一節 自覚から宣言まで(前半)〜自覚するまで

ファミリービジネスの経営者に話を伺うと、「生まれたときから後継者だった」と語る方が多いです。私は長子承継論を主張していますので(第一章第一節をご覧ください)、その感慨に異議を唱えるわけではありませんが、コトはそんなに簡単ではないですよ、と申し上げたくなってしまいます。

あたり前の話ですが、「お前が跡取りだ。他の道に進むことは許さん」と決めつけられてしまえば、資質に恵まれた後継者ほど、反発を覚えることになります。反発心が嵩じて、継ぐことを拒否するようになってしまえば、それは元も子もありません。

継いでくれるにしても、成り行きで仕方なく継ぐのと、「継ぎたい」という強いモチベーションを抱くのとでは雲泥の差があります。

いちばん良いのは、「継ぐ人」が「自分にやらせてほしい」あるいは「自分が継ぐ」と自発的に宣言してくれることです。「継ぐ人」が、あくまでも自分の意志で継ぐと決意してくれるのが理想です。

そのように導くにはどうしたらよいのでしょうか。これが今回のテーマです。当然のことながら、今回は「譲る人」が何をすべきかに力点を置いてご説明することになります。

ここでも二つのステップがあります。まずは「自分が継ぐのかな」と自覚するまで。つぎは、「自分が継ぎたい」とカミングアウト(笑)するまで。順番に見ていきましょう。

「自分が継ぐのかな」と自覚するまで

年齢的には物心ついてから、将来の進路を考え始めるころまで。ということは、個人差はありますが、中学生くらいまでということになりますか。

ここで「譲る人」が打つべき手は3つあります。

1)環境を整える

2)背中を見せる

3)周囲、とくに祖父母の力を借りる

1)環境を整える

物心つく頃から家業に親しみを持ってもらうのが理想です。

創業経営者を親に持つ「継ぐ人」の場合には、否応なく家庭と仕事が不可分のような形になるので、自然とそうなるわけですが。

長く続いているファミリーの中には、いわゆる「職住近接」を非常に重要視しているところもあります。例えば、京都で440年続いている「平八茶屋」の第20代、園部平八さんは著書の中で次のように語っておられます。

長男で、二十一代の晋吾が結婚するときに、息子夫婦に頼んだことがあります。それは、平八茶屋の敷地内で暮らしてほしいということでした。当時、京都の料亭では、後継者の息子が結婚すると、マンションなどを購入して店の外に住む傾向がありました。しかし、私は「それはダメだよ」と言いました。「いずれ生まれる子どもたちは、平八茶屋の敷地内で育ててほしい」と頼みました。これが唯一、私が息子夫妻にお願いしたことでした。(p160)

 

極論をあえて言いますと、家業を継いだ私たちの年代の親で、「子どもが継がない」と言って嘆いているのは、子ども夫婦をマンション暮らしさせている方たちが多いです。家業の場所から少し離れてマンションなどに住んでいたら、土日祭日がどれほど忙しいのかを、その嫁も知ることができません。ましてや、子どもには伝わらずじまいで育ちます。意識はどうしてもサラリーマン家庭のようになりがちで、その子は家業を継がなくなる傾向があります。(p161)

「京料理人、四百四十年の手間」園部平八著

「継ぐ人」を折に触れて会社に連れて行ったり、会社の行事(運動会など)に参加させるのも、有効な手段になります。

創業者の娘として生まれた大塚久美子さんの、子ども時代を振り返って語っておられます。

「旅行に行きたい」といえば地方にある取引先の工場に連れて行かれたり、「初詣に行こう」といわれてついて行ったらお店の初売りだったり。家業をお持ちであれば、みなさん、同じような経験をされているかと思いますが、私の子ども時代もそんな感じでした。

NIKKEI STYLE 2016年7月21日

創業者は忙しすぎるから、ということもあるのでしょうけれど、可愛い娘に家業に親しんでもらいたいという気持ちはうかがえますよね。

2)背中を見せる

稀なことではあるのですが、「継いでくれなくなると困るので、子どもにはしんどい姿を見せたくない」と語る方がおられますが、それはとんでもない間違いです。

たしかに、家業の状態が非常に厳しい場合には、子どもが引いてしまうことがあるかもしれませんが、そもそも、そんな仕事を継がせたいかというと、それは疑問ですよね。

仕事柄、いままで多くの「継いだ人」のお話を伺ってきましたが、親が頑張っているからこそ、自分が引き継ぎたいと思ったと語る方がほとんどでした。親が考えているよりも、子どもはしっかりしているものです。

ですので、仕事の話を家でしないようにするとか、無理に苦労を悟らせないようにするといった努力は無用です。かといって、あからさまに語る必要はありませんが、隠し立てする必要もありません。もしも質問を受けたら、それは誠実に答えればよいのだと思います。

3)周囲、とくに祖父母の力を借りる

これは創業経営者からの事業承継の場合には無理なので、長く続いているファミリービジネスに限定した話になります。

私が存じ上げている経営者は長男として生まれたのですが、親からは継ぐようにと言われたことはなかったのだそうです。そのかわり、忙しい親に代わって可愛がってくれた祖父母が、何かにつけて「おまえが継ぐんだよ」と穏やかに言い聞かせてくれたとのこと。この方は今は息子さんに経営を譲って会長に退いておられるのですが、「孫に『おまえが継ぐんだよ』と言い聞かせるのが私の一番の仕事です」と語っておられます。

ここまではっきりした形をとらなくても、皆さん工夫をされるようです。1)でご紹介した薗部平八さんは、こんなふうにおっしゃられています。

いま孫は高校生で、大学はどこに進学するのかわかりませんが、しかし卒業後は料理人の修行をし、後を継いでくれると思っています。

 

孫が小さい頃はいつも中央市場の買い出しに連れて行きました。中央市場の中に石田食堂という定食屋がありました。(中略)

 

ここの食堂では中華そばが有名でした。(中略)孫もまた、中華そばを食べるのが楽しみだったようです。冬の季節はもちろんのこと、暑い夏の季節でも美味しいです。

 

何気ないことですが、1日の朝がどのように始まり、1週間はどのように過ぎるのか、市場でなにを買うのかなど、その一つひとつが体に染み込んで、後継者としての下地がつくられていくのです。(p161〜162)

「京料理人、四百四十年の手間」園部平八著

ラーメンで孫を釣って(笑)後継者教育を施しているわけですが、この子が大きくなって意思決定をする際には、こういう記憶が果たす役割は無視できないと思います。

このようにいろいろと試みて、「やっぱり僕が(わたしが)継ぐのかな」と思ってくれれば大成功です。しかし、そこから「僕(わたしに)継がせてください!」と宣言してくれるまでには大きな距離があります。

次回は第一節の後半、すなわち、「『自分が継ぎたい』とカミングアウトするまで」を扱います。自分が継ぐと決意するということは、他の選択肢と比べて家業を選ぶということになります。となると標準的には高校生の頃になりますか。面白いエピソードもご紹介できると思いますので、ご期待ください。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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