第二章 「継ぐ人」の育て方〜第一節(後半)「自分が継ぎたい」とカミングアウトするまで

第二章は「継ぐ人」が承継すべき会社に入るまでの期間を扱います。個人差はありますが、物心ついてから30代なかばくらいまでになりますので、これを3つのブロックに分けます。

第一節 自覚から宣言まで

第二節 社会に出るまで

第三節 継ぐ会社に入るまで

前回は(第一節 自覚から宣言まで)では、「継ぐ人」を素直に自覚に導くために「譲る人」が準備すべきことをご説明しました。

今回は、第一節の後半として、「継ぐ人」に「自分が継ぎたい」と言わせる(笑)ためにはどうしたら良いのか、そのタイミングはいつ頃が良いのか、等について、毎度のことではありますが、実例に基づいて実務者としての視点からご案内します。

第一節(後半)〜「自分が継ぎたい」とカミングアウトするまで

「継ぐ人」の自覚には、実のところ温度差があります。「自分が継ぐことになるんだろうな」とやんわり思っている人もいれば、「俺が継がないでどうする」と心に決めている頼もしい人もおられるといったように。

私の見るところ、近年もっともうまく行った事業承継の事例は 「ジャパネットたかた 」ですが、そこでの「継ぐ人」である高田旭人さんは、さすがにしっかり自覚しておられたようです。

父から直接的に「家を継げ」と言われたことはなかったものの、父や母が懸命に働く姿を見て育ったので、中高生の頃には、両親がつくった会社を未来につなぐのが自分の役目だと思っていました。(p25〜26)

「ジャパネットの経営」高田旭人著

『未来につなぐのが自分の役目』という自覚は素晴らしいですね。

伝統的なファミリービジネスの場合、「譲る人」がうまく導くと、確固とした自覚が育まれます。近江八幡(いまや全国区ですが)の老舗、「たねや」十代目の山本昌人さんの場合です。

菓子屋を継ぐものだと思い込んでいました。小学校で「将来、何になりたい?」と聞かれたら、みんなに合わせて「プロ野球選手」とか「パイロット」とか答えてはいたのですが、本心は「菓子屋になりたい」でした。(p66〜67)

 

二十四時間、菓子のなかで生活していたようなものです。むしろ菓子屋以外の職業を思い浮かべるのが難しい状況でした。(p67)

「近江商人の哲学〜「たねや」に学ぶ商いの基本」山本昌人著

ただ、いかに本人が強い思いを抱いていても、「自分が継ぎたい」とカミングアウトするまでは、いわば潜在的な後継者であるに過ぎません。カミングアウトしてはじめて、「継ぐ人」になるのです。やんわりとした自覚に留まっている後継者の場合には、なおさらのことです。

カミングアウト以前と以後で、「継ぐ人」の人生はガラッと変ります。そうなると、「継ぐ人」とっては、いつカミングアウトするのか、立場をかえて「譲る人」にしてみれば、いつカミングアウトさせるのか、は非常に重要な問題であるということになります。

ここでのポイントは3つあります。

1)場を設定することの意味

2)タイミング

3)カミングアウトを受けて行うべきこと

1)場を設定することの意味

ひとことで言えば、「譲る人」と「継ぐ人」の関係に、くっきりと「節目」をつけ、「継ぐ人」の覚悟を促す ということです。

多くの場合、なんとなく自然の成り行きに任せることになってしまっているのですが、私ははっきりした場を設定すべきであると考えています。

「継ぐ人」からすると、尋ねられてもいないのに「自分に継がせてくれ」とは、言い出しにくいものです。一方、「譲る人」としても、「お前が継ぐんだ」と告げることで、頭ごなしに押し付けたと思われることは避けたい。できることなら、自発的に「継ぎたい」と言い出してもらいたいわけです。そうすると、いわゆる「両すくみ」になってしまい、ずるずると時間が経過してしまいます。

場を設定することの意味は、実はもうひとつあります。それは兄弟との関係です。

私は男女を問わず、第一子が承継すべきという立場(第一章第一節をご覧ください)ですが、それは何がなんでも第一子を「継ぐ人」にすべきであると言っているわけではありません。

「継がない」、あるいは「継ぎたくない」というカミングアウトもありえます。第一子が明確に継ぎたくないと意思表明する場合には、第二子以降の、継ぐ意思の強い子供を「継ぐ人」にすべきです。(この場合は自動的に第二子が優先するのではなく、意思の強さで選ぶべきであると私は考えています。この点については節を改めてご案内する予定です。)

継ぐ気がないのに親への遠慮からカミングアウトせず、親も敢えて問いたださず、いたずらに年月が経過し、いざとなったら「継がない」となるのは最悪です。それは、第二子以降の後継候補から、準備の期間を奪うことにもなります。

ちょっと唐突感があるかもしれませんが、私はこのカミングアウトの場は、皇室の伝統の中での「立太子礼」に近い意味があるととらえています。

明治以前の朝廷では、天皇の長男であることは後継資格として非常に重要でしたが、それだけで皇太子(昔風には東宮)であることが保証されたわけではありませんでした。「立太子礼」を行うことによって、皇太子としての地位が確定したのです。それ以前は有力な皇子の一人である、という立場にすぎません。

2)タイミング

私が存じ上げている経営者は、創業経営者の長男なのですが、中学1年生のある日、突然お父様の前に正座させられ、「継ぐのか継がないのか、この場で決めろ」と迫られたそうです。この方はその場で「はい」と答え、会社を継いでからは倍以上の規模に成長させたので、結果的には良かったということになるのかもしれません。しかし、このケースはちょっと極端ですよね(笑)。

「継ぐ」という決断は、人生での他の選択肢と比較して家業を選ぶということですから、そのタイミングは将来の進路を考える頃に設定するのが自然です。一般的には高校に進学したあたりでしょうか。文系に進むのか、理系に進むのかを決めるのはその頃ですよね。

そして、考える時間も必要です。例えば、高校に入学した春に、「夏休みが終わる頃にどうしたいのか尋ねるから、それまでじっくり考えろ」と告げるくらいが望ましいでしょう。

しかし、今申し上げたのはあくまでも一般論です。現実論としては、「譲る人」が「継ぐ人」を観察した上で、どれだけ自覚が強くなっているのかを推し測って判断することになります。

1)でご紹介した高田旭人さんの場合には、もっと早く、中学生くらいでもよかったかと。山本昌人さんの場合には、カミングアウトすら必要なかったかもしれません。しかし、自覚がやんわりしている場合には、大学に入り、就職活動をはじめる3年生あたりまでタイミングを下げなければならないこともあるでしょう。社会人になってからでは…  ちょっと遅いでしょうね。

先だって、京都の名だたる老舗の十代目のご当主に、「継ぐと決意したのはいつですか」とお尋ねしたことがあります。「27歳やね」という答えに面食らったのですが、よくお話を伺って、得心しました。この方は上にお姉様方がいらっしゃるものの、男子としてはたった一人のお子さんだったため、当然ながら「継ぐ人」として育てられました。会社を継ぐにあたって、先代までの卸商としてではなく、「ものづくり」に賭けると決意されたのが27歳。要は、「死ぬ気で継ぐ」と決めたのが27歳、ということだったのだ、と私は理解しました。

3)カミングアウトを受けて行うべきこと

「継ぐ人」にとっては、「継ぐ人」としてのスタート・ポイントとなります。これ以降はどれだけ準備を積み重ねていくか、が承継の成功への鍵となります。

「継ぐ人」は、まずこれから何をしなければならないか、じっくり考えてみるべきです。

もしも継ごうとしているファミリービジネスの性質上、前述の「たねや」さんのように、「継ぐ人」にその道での練達が求められる場合には、技芸の習得を一層本格化することが第一になるでしょう。卓越した技芸を身につけることが、「継ぐ人」として認められるためには不可欠となるからです。

もしかすると、そうでない場合の方が、何をするのか考えることが難しいかもしれません。単にそのファミリービジネスのビジネスモデルについて学ぶだけでなく、いずれ社員に「継ぐ人」として受け入れられるためには何が必要か、思いを巡らさなければなりません。

そして、両方の場合に共通することですが、今まではさておき、自分が継いだら何をしたいのか、についても考え始める必要があります。継いでから考えるのでは遅いのです。

じっくり考えたその上で、「譲る人」に相談し、だいたいのところを握るのがよいでしょうね。この時点で詳細に合意するのは無理な上に無駄なので、方向性について合意点をつくっておくことが大事です。

「譲る人」はいろいろと言いたいことがあるとは思いますが、過度に干渉することを避け、アドバイスに徹することが望ましいです。「自分だったら、先代からこんなことを言って欲しかったな」が、その際の物差しになるかと。

2)でご紹介したお父様の前に正座させられた方の場合には、お父様から、「これからは私が設定するハードルを一つ一つ越えていくように。それ以外は認めない」と宣告されたそうです。それは、大学の学部をどこにするかから始まり、どんな会社で修行するか、等々にわたるものでした。この方はお父様をたいへん尊敬されておられたので、それらのハードルを見事にクリアし続けて承継されたのですが、これはちょっと特異な例として考えるべきでしょう。お父様としては考えに考え抜いた結果の進路設定であったとはいえ、本来は「継ぐ人」の自主性も尊重されるべきであると私は思います。

さて次回は第三節「継ぐ会社に入るまで」を扱います。世の中には、ファミリービジネスの後継者たる者、学校を出たらすぐに家業に入るのが当然という通念があるように見受けますが、私は「他所の飯を食う」ことが極めて重要であると考えています。そのあたりについて、実例をご紹介しながらご案内させていただきます。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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