羊頭狗肉どころか、狗頭特上霜降り肉:読後感~「クラシック音楽を10倍楽しむ魔境のオーケストラ入門」斎藤真知亜 著

羊頭狗肉というのは、羊の肉を売ると見せかけて犬の肉を売るということ。今風に言えば「広告に偽り有り」ということです。この本はその逆。出版社が付けたダサくて陳腐なタイトルに騙されてはいけません。なかみは目から鱗が何枚も落ちる、素晴らしい本です。そう、犬の肉を売る看板を掲げて、特上霜降り肉を売っているようなものです。(ちょっとサシが多くてもたれる部分が無いとは言えないのですけれど…)

N響の斎藤真知亜さんといえば、在京の好楽家で知らない人は少ないでしょう。N響を支えるヴェテランのひとりです。名前だけ見て女性と誤解される方もおられるかもしれませんが、ハードな感じのオジサンです。(写真はこの本のカバーから。)

 

N響に限らず、日本のオーケストラの団員の方が本を書かれることは案外少なくて、長くN響で第二ヴァイオリンを弾かれていた鶴我さんと、去年定年になったN響首席オーボエの茂木さんくらいでしょうか。あとは広響の首席チェロのスタンテフェライトさんがドイツ語でエッセイを書かれていますが、これはオケについてがメインではありませんし。

さて、真知亜さんの本の構成はというと、

第1章 知られざるN響の世界

第2章 こう聴けば、オーケストラは10倍楽しくなる

第3章 音楽人生の扉が開かれた

第4章 国内最高峰の芸術学校で学ぶ喜びと憂鬱

第5章 オケマンはクラシック音楽を語りたい

第6章 もっと知りたいオーケストラの世界

こうして眺めてみると陳腐な入門書のような感じがしてしまうのは否めませんが、それははっきり言って編集者の腕が悪いからです。タイトルもそうですけど。

実際のところ、この本は真知亜さんの音楽家としての半生記とも言うべきもので、音楽そのものや音楽家の人生について深い洞察に満ちていて、私は一気に読みました。

出来るだけ多くの方に読んでいただきたいので内容を詳細にご紹介することは避けますが、私が面白いと思ったところをちょっとだけ。

 

フォアシュピーラーの役割

コンマスの隣と、第二列のお二人のことをフォアシュピーラーというのですが、その役割について。

コンマスの指示を、後方にいる第一ヴァイオリンのチームに伝えるのは、コンマスのすぐ後ろにいるフォアシュピーラーの担当です。一方、コンマスの横にいるフォアシュピーラーは、左側に並んでいる第二ヴァイオリンのチームに伝えます。そして3人いるフォアシュピーラーの中で、一番複雑な任務を負っているのが、コンマスの斜め後ろにいる人です。というのも、コンマスの音と後ろの音の両方が一番よく聴こえるのがこの位置であり、ここの音はコンマスにも届きやすいからです。

そこで、後ろの方で何か異変が起こっていると感じたら、素早くコンマスに伝えるのがこの位置にいる人の役目になります。城下で謀反が起こりそうな気配を察知して、いち早くお城の殿様に伝える忍者のような存在です。

ただし、これらの指示は、言葉や明確な動作ではなく、あくまでも音や気配によって伝えられます。

 

「音や気配によって」というのがすごいですよね。私は管楽器奏者なので、こんなことが行われているとは全く知りませんでした。

 

真知亜さんの名前の由来

この名は音楽とは関係なく、キリスト教の聖マチアスから名付けられたものです。父の仕事の都合で転校が多かったこともあり、風変わりで男か女かわかりにくいこの名前が、子供のころは大嫌いでした。でも、ヴァイオリニストになって海外へ行くようにになると、欧米には Matthias という名前の人が多いですから、僕の名前をすぐ覚えてくれる。その点では得をしていると感じるようになりました。

ご両親がカトリックの信者でいらっしゃるのですね。真知亜さんのご両親を取り持ったのは教会の鐘の音だったらしいのですが、この鐘はどうやら上智のイグナチオ教会の鐘であるようです。

 

音楽家ならではの深刻な(?)悩み

静かな場所で心を落ち着かせようとしても、ごくわずかな音に耳が反応して聴きに行ってしまい、なかなか心が休まらないのです。(中略) 静寂が感じられないのは辛いことです。それをなんとかしたくて、先日も耳鼻科で検査してもらいました。すると先生が、「穏やかな音楽でも聴いてリラックスしたらどうでしょう」と言うものですから、思わず「それはそれで落ち着けないんです」と答えたら、「そりゃそうですよね」と笑われてしまいました。

これは… まさに職業病なのでしょうね。

 

N響の得意、不得意

真知亜さんと同世代の聴衆として私が同意できないこともあって、面白いものだなと思いました。

僕は昔からN響が演奏するシベリウスが大好きでした。自分で弾いてもピンとこないのですが、N響はシベリウスの曲を演奏するのがとても上手なので、「あんなに離れている国の曲をどうしてN響は上手に演奏できるんだろう」とずっと不思議に思っていたのです。

そもそも、「ドイツの都市部で育まれた曲は、日本人に合わない」のかもしれません。先ほど、「日本人はチャイコフスキーが好き」「シベリウスが日本のオケマンにしっくりくる」などと述べましたが、シューマンやメンデルスゾーンの曲はその対極にあるということです。

シューマンとメンデルスゾーンの曲には、ピタリとはまる指揮者がいないと僕は思っています。N響では、どちらの曲もそれぞれすごい指揮者とともに演奏しているのですが、個人的には納得できたことは一度もありません。

これは私が感じていることと、それこそ「真逆」です。

私はN響のシベリウスについては、ホルスト・シュタインの晩年の7番を除いて、感心したことがないのです。その一方、ヴォルフガング・サヴァリッシュのシューマンとメンデルスゾーンは、本当に素晴らしい演奏として記憶に残っているのですけれど。真知亜さんはサヴァリッシュがN響を率いてシューマンゆかりのデュッセルドルフで4番を演奏し、ヨーロッパで高い評価を得た楽旅には間に合っていないのかな…

ともあれ、素晴らしい本です。読んで損はありません。ぜひ。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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