新型コロナウィルスとの共存の時代がスタートするなかで、各オーケストラが「休憩なしの短縮版」から「休憩を挟んでの完全版」の演奏会を再開し始めています。日フィルの9月4日、読響の8日に続いて、都響も今日(12日)に再開。もっとも、定期演奏会ではなく、都響スペシャルという位置付けではありますが。
再開初日は都響のホームグラウンドである東京文化会館ではなく、サントリーホール。この演奏会は、今年の3月に定年を迎えられた首席クラリネット奏者の三界さんのお別れ演奏会でもあります。指揮は音楽監督の大野和士マエストロ。
曲目はけっこう重くて、前半にモーツアルトの交響曲第36番「リンツ」と、ブルッフのクラリネットとヴィオラのための二重協奏曲。後半にシューマンの交響曲第3番「ライン」。
モーツアルト:交響曲第36番「リンツ」
モーツアルトの後期の交響曲の中で、もっとも編成が小さい曲。そう、フルートとクラリネット(もちろんトロンボーンも)お休みですから。それでも堂々と鳴るのがモーツアルトのモーツアルトたる所以です。
大野さんは内声部を強調する解釈。ときおり、弦を掘り起こすようなジェスチャーで内声旋律を際立たせておられました。あのジェチャーは、チョン・ミュンフンもよくやりますよね。
結果、とても雄渾な「リンツ」になりました。都響の演奏能力はピカイチなので、堂々たる仕上がり。
ただ、私の趣味としてはもうちょっと木管を歌わせてほしいと思いました。
ブルッフ:クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲
私は初めて聴きました。というか、恥ずかしながら存在すら知らなかった曲。初演は1912年とのことですから、ストラヴィンスキーの「春の祭典」とほぼ同じ時期になりますか。
素敵な曲でした。とくに第三楽章が。
演奏するには厄介な曲かと思います。おそらくバランスが取りにくいのでは。そのあたり、大野さんはオケを鳴らすので、クラリネットとヴィオラの掛け合いが聴き取りにくくなってしまう局面もありました。
ヴィオラ・ソロの鈴木さん、クラリネット・ソロの三界さんの演奏はとてもとても立派でした。
三界さん、仏教用語に「三界」(欲界・色界・無色界のこと)という言葉があるので、ずっと「さんかいさん」と勝手に読んでいたのですが、「みかいさん」なんですね。ご子息もクラリネット奏者で、今年広島交響楽団に入団されたと伺いました。世代交代が進んでいるのですね。
シューマン:交響曲第3番「ライン」
シューマンの交響曲を聴くときにいつも思い出す逸話があります。シューマンはオーケストレーションがあまり上手ではなく、いろいろな楽器が同じ旋律を弾いたり吹いたりしている場面が散見されることで有名です。自他ともにシューマンの権威と認めていたヴォルフガング・サヴァリッシュに誰かが質問したところ、彼は「しかし、それらの楽器が同じ音量で演奏するのだと、誰が決めたのですか?」と反問したというのです。それこそが指揮者の仕事だよ、ということですよね。私は、ここを引き算で考えるのか、足し算で考えるのかによってシューマンの響きが変わってくるのではないかとかねてより考えています。
今日も大野さんは「足し算」でした。それだけに壮麗な響きになるのですが、その一方でクライマックスが相対的に低くなっていたように私には感じられました。サヴァリッシュは「引き算」だと思います。どちらも綿密な設計に基づいて振る指揮者であり、サヴァリッシュは大野さんの師匠でもあるわけですが、クライマックスの高揚感には大きな差があるように思われました。これは趣味の問題でもあって、私はサヴァリッシュを支持しますが、大野さんの演奏が好きな方も多いかと思います。終演後は大拍手でした。
ただ、これはどうしようもないことなのですけれど、こういう曲を聴くと、私はサヴァリッシュとか、ホルスト・シュタインの音が脳裏に蘇ってしまいます。木管の刻みのリズム感とか、ホルンの斉奏の高揚感とか。シュタインのラインを聴いたことはないのですけれどね。こうなると、一種の「刷り込み」なのでしょうけれど。
でも、私のような聴き手がサヴァリッシュとかシュタインを思い出すほど、今日の演奏は優れていたということです。都響、素晴らしかったです。
オケについて
今日は対向配置でした。コンミスは四方さん。オーボエ鷹栖さん、ファゴット岡本さん。ホルンのトップは新しい方(庄司さん?)で、素晴らしかった。トロンボーンのトップも若くて細い男性ですが、堂々たる演奏でした。
素晴らしい演奏会でした。