トランペット15本の咆哮にスターリンの恐怖を聴く〜東京フィルハーモニー交響楽団 第919回オーチャード定期演奏会

東フィルというのは在京オケの中でちょっと微妙な存在。とりたてて上手いわけでもないのに、チケットが高い(下手すると都響の倍)ため、私の友人の間でも、敬遠する向きが少なくありません。私もそんなに乗り気ではないのですが、なんとしたことか、3ヶ月連続でオーチャード定期に通ってしまいました。

なんで3月の定期演奏会に赴いたかというと、それは滅多に演奏されない曲がプログラムに挙げられたからです。いわば、怖いもの見たさ(聴きたさ?)とも言いましょうか。

曲目は前半がチャイコフスキーのスラヴ行進曲と、ヴァイオリン協奏曲。ソリストは台湾期待の若手、ユーチン・ツェン。 後半は、まずはハチャトリアンのバレエ音楽「スパルタクス」よりアダージョ、そしてこれが目玉の、ハチャトリアンの交響曲第3番。この曲、今回を逃すと、おそらく一生聴くことはないのではないかというくらいにレアな曲です。

指揮はミハイル・プレトニョフ。もともとはピアニストです。それもチャイコフスキー・コンクール第一位ですから、一流ですよね。この10年くらいは指揮者としても活躍。ロシア・ナショナル交響楽団を指揮してベートーヴェンとチャイコフスキーの交響曲全集と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の全曲を録音しています。ベートーヴェンの交響曲全集は、その特異な解釈で話題になりました。

私が初めて彼を聴いたのは、彼がまだ売り出し中の若手ピアニストであったころ。都響の定期演奏会で、モーシェ・アツモンの指揮でラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」を弾いたのでした。彼、25歳。

この演奏は今でも鮮明に覚えています。青白い火花のような、凄絶な演奏でした。私にとって、未だに実演で接した中でベストです。あれは、いつだったっけ、と都響のアーカイヴで調べてみたら、1982年11月12日でした。もう36年余りが経過したのですね。

 

チャイコフスキー:スラヴ行進曲

よく知られた名曲です。言ってみれば、帝政ロシアにとってのフィンランディアのような曲。初演時には多くの人が愛国的な感情をかき立てられて涙を流したと伝えられています。

低弦、とくにコントラバスを存分に鳴らした、重量感のある演奏でした。私としては、この日の4曲のなかで、この曲がいちばんの名演だったように思います。

この曲の後半に、かつてのロシア帝国の国家であった、「神よ、ツァーリを守りたまえ」が登場します。チャイコフスキーの「序曲1812年」でも同じ旋律が使われているのですが、革命後は差し替えられて編曲されたという経緯があります。しかし、スラヴ行進曲が編曲されたという話は聞いたことがありません。どうなっていたんでしょうかね?

 

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

これもスラヴ行進曲に負けず劣らずの名曲。ソリストのユーチン・ツェンは13歳からカーティス音楽院で学び、チャイコフスキー・コンクールで最高位(首位が「該当無し」であったため)の逸材。

端正に、綺麗にまとめていたのですが、この曲については2月に聴いたコパチンスカヤの印象が強すぎます。ユーチン・ツェン、頑張っていたのですが、私は心動かされることはありませんでした。ごめんね、ユーチン。

 

ハチャトリアン:バレエ音楽「スパルタクス」よりアダージョ

ハチャトリアンは生涯で2曲バレエ音楽を書いています。「ガイーヌ」と「スパルタクス」。このうち、「ガイーヌ」は「劔の舞」で有名。(というか、それしか知らない人が、私を含めて圧倒的多数でしょう。)これは、「スパルタクス」からの抜粋。約10分の小品です。

映画音楽みたいな曲、という印象でした。まあ、こんな曲もあるのね、と。

 

ハチャトリアン:交響曲第3番

とにかく楽器編成が特異な曲です。2管編成のオケ(ただし、トランペット、トロンボーンは3本ずつ)に加えて、トランペットが15本。この日はステージのいちばん後ろにずらりと15本が並んでおりました。

この編成からうかがえるように、とにかく大音量で勝負という曲。単一楽章で、そのなかでもくっきりとしたメリハリがあるわけではなく、どうしてこれが「交響曲」なのか疑問を抱きながら聴いたのですが、あとで解説を読んだら最初は「交響詩」だったそうです。それならわかります。

率直に言って、音量だけやたらに大きな、空虚で派手な曲です。弦が旋律をリードすることが少ないので、ブラスバンド曲のように響きます。というか、ブラスだけでもよかったのではないかと。

いくらハチャトリアンとはいえ、なんでまたこんな馬鹿騒ぎのような曲を書いたのかと不思議に思い、解説を読んだところ、これはロシア革命30周年の記念に作曲されたものであるとわかりました。

このころハチャトリアンはソヴィエト作曲界で指導的な地位にあり、またそれを保たなければならない立場にありました。つまり、スターリンが喜ぶ曲を書かないと、その特権的地位が危ない、という状況にあったわけです。その結果が、このド派手な曲であったのか、と私は納得しました。こんな曲を書かせてしまうほど、スターリンの専制は恐怖に満ちたものであったということなのでしょう。

ところが皮肉なことに、この曲はジダーノフによって「形式主義的」と酷評され、初演(ムラヴィンスキー指揮!)の後は封印されるに至ったのです。運命の皮肉ですね。

 

オケについて

オーボエの加瀬さんも、ファゴットの廣幡さんも乗っていないので、私としては楽しみが少ない演奏会でした。これが普通のときの東フィルなんですかね。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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