都響の首席客演指揮者として、圧倒的な名演の数々を聴かせてくれたヤクブ・フルシャ。ひさしぶりに日本のオケに戻ってきてくれました。でも、都響ではなくて、N響に… 。 フルシャの優れた力量は既に明らかなので、N響がどう応えるかに興味があり、私としても久しぶりに歌合戦ホールへ。 で、結論ですが、もちろん秀演でした。しかし、「ああ、都響とだったら、もっと高みに!」と感じたのは私だけではないのでは?
土曜の18時からということもあって、なんとなくまったりした感じのNHKホール。私の席は2階C9-24。このホールは、とにかく上に屋根がかぶったら音響がダメなんですよね。なので、高いけれどS席を確保。
まわりを見回してあらためて思うのは、N響の聴衆の高齢化は顕著ですね。まあ、私自身も初めてこのホールに足を踏み入れてから40年が経過しているので、ひとさまのことを言えた義理ではないのですが。
曲目は、前半がリヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」、ベルリオーズの叙情的情景「クレオパトラの死」。後半がヤナーチェックのシンフォニエッタ。
時間的に前半が1時間、後半が30分を切るという、珍しいバランスのプログラムです。ベルリオーズでのソリストは、ソプラノのヴェロニク・ジャンス。コンサートマスターは、ライナー・キュッヒル。
リヒャルト・シュトラウス: ツァラトゥストラはかく語りき
冒頭だけは超有名ながら、全曲をちゃんと聴いた人は意外に少ないのでは? もちろん、けっこう面白い曲です。
N響、よく鳴ってました。これはフルシャの力でしょう。ただ、この曲について、どれだけ彼がやりたいように出来たのか… なにせ、コンマスがキュッヒルですよ。カラヤン、ベームあたりとこの曲を弾いているわけで、フルシャも遠慮気味であるように見えました。キュッヒルはキュッヒルで、「俺が引っ張る」という気合い満々で弾いておられましたし。あのウィンナ・ワルツの部分なんか、良くも悪くもキュッヒルの独壇場でした。
ただ、オケとの一体感という点だと、ちょっと微妙だと私は思います。コンマスとオーボエの掛け合いみたいな綺麗なところがあるんですが、完全にコンマス優位になってしまうのがどうかな、と。いや、きちんと「合って」いるんですよ。でも、私としては物足りないなと感じました。私はシノーポリがNYPOと録音した演奏を評価しているのですが、あれだともっと面白いです。
終演後、フルシャはキュッヒルに最大の敬意を捧げていましたが、まだ38歳の彼としては、致し方ないところかもしれませんね。
ベルリオーズ:叙情的情景「クレオパトラの死」
朝比奈先生が対談で、ベルリオーズっていうのはときどきとんでもなく変な曲を書いていると語っておられた記憶がありますが、この曲もそのひとつ? クレオパトラがコブラに腕を噛ませて自殺するときのモノローグに曲をつけたもの。解説によれば、ローマ賞の課題曲なのでそうです。ベルリオーズに言わせれば、「書きたくて書いたわけじゃないし」ですかね。
私は初めて聴きましたが、意外なことに日本初演ではありませんでした。こんな曲、誰が初演したのでしょうね。もしかすると若杉弘さんあたりかもしれません。(笑)。
ベルリオーズの作曲家としての技巧を示すという趣きの曲で、それなりに楽しく聴きました。ソプラノのジャンスさんは明晰な歌唱で、素晴らしかったです。
ヤナーチェック:シンフォニエッタ
私は読んでいないのですが、村上春樹さんの小説で一躍有名になった曲。私はそれ以前から好きです。
チェコ系の大指揮者はこぞって録音しているのですが、規範的演奏とも言うべきなのはラファエル・クーベリックとバイエルン放送交響楽団のものであると思います。
フルシャはチェコ期待の俊英ですので、それにふさわしく堂々たる、チェコの巨匠たちにつながる系譜の名演を披露してくれました。ただ、どうもN響の食いつきが物足りないんですよね。いつもの、ちょっと醒めたN響の面がちらりと出ていたように私には思われました。これもコンマスの影響かもしれませんが。
ちなみに私がベストだと考えているのは、エサ=ペッカ・サロネンのロスフィルとの2014年のライヴ。チェコ的な演奏の伝統を離れて、この曲の魅力を汲み尽くした名演です。
オケについて
今日の木管はフルート甲斐、オーボエ青山、アングレ池田、クラ松本、ファゴット水谷。さすがの安定した演奏。とくに甲斐さんの活躍が素晴らしかったですよ。
ただ、オケがフルシャの意図を全力で実現しようとしていたかというと、そうではないように思われました。
こんなことを言っても詮方ないのですけれど、このプログラム、都響で、矢部コンマスで聴いたら一段と素晴らしかったであろうと思うのですよね…
やっぱり、オケとの相性というものは… あるんですね。