矢部達哉さん ソロ・コンマス30周年を祝って

私が都響をはじめて生で聴いたのは1980年3月15日。指揮は亡きモーシェ・アツモンでした。このときのコンマスは小林健次さん(東響の水谷コンマスのお師匠様)。ということは、都響を聴き続けて40年ですか。この40年のうちの30年をソロ・コンマスとしてリードしてこられたのが矢部達哉さん。昨日はその30周年記念コンサートでした。終生記憶に残るであろう、すごい演奏会になりました。

曲目は前半がベートーヴェンの「ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲」。後半はベートヴェンの交響曲第3番「英雄」。前半のソリストは、ヴァイオリンはもちろん矢部さん。チェロは宮田大さん。ピアノは小山実稚恵さん。指揮は音楽監督の大野和士さん。矢部さんは前半ではソリスト、後半ではコンマスという大活躍(というか、常人にはこんなことは出来ません。すごい。)

ベートーヴェン:ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための三重協奏曲

世の中には「有名だけれどあまり聴かれない曲」というのがあるのですが、さしずめこの曲あたりはその代表選手かと。 私、実演で聴くのは今回がはじめてです。CDではもちろんカラヤン指揮による新旧大スター競演盤を持っていますが、そんなに真剣に聴いたわけではありません。ちゃんと通したのは、今回の予習がはじめてかも。予習でも、「そんなに面白い曲ではないかな」というのが率直な感想でした。もちろん、大スターたちの技巧には感心しましたが。

まあ、そういった曲であるわけですが、昨夜はのけぞるような大名演でした。

何が凄かったかというと、ソリストたちの緊密なアンサンブルによって、この曲の作曲意図を超えたかのような大きなプロポーションが出現した、ということです。この曲はチェロが不当に難しいのですが、矢部さんのリードに宮田さんが食らいつくようにして応えて、挑んでいくのを小山さんが磐石のピアノで支えておられました。ソリストの配置はこんな感じだったのですが、

小山さん、背中に目があるんですかね。このお三方は普段からもトリオを組んで活動されておられるのですが、そのレベルの高さをひしひしと感じました。こんなことができるんだ、と。(この写真は私が会場で撮影したのではもちろんなく、都響のtweetからお借りしたものです。念のため。)

指揮の大野さんも万全のサポートでした。そして何よりもオケのメンバー全員が寄り添うように矢部さんを支え、そして管の首席たちはソリスト、とりわけ矢部さんとのインスピレーションの交感を楽しむという、稀にみる(聴く)演奏でした。正直、これからの私の聴衆としての経験の中で、昨日を凌駕する演奏に接することができるかというと、かなり疑問です。こういう言葉を安直に使いたくはないけれど、「至高の演奏」でありました。

ベートヴェン:交響曲第3番「英雄」

実は後半も凄かったのです。大野さんの「英雄」といえば、4~5年前の某外来オケの来日公演を振られた際には、一部からケチョンケチョンでした。非常に高名な評論家の大先生は、「本当につまらなかったし、オケのメンバーから後で聞いたら悪評プンプンだったよ」と私的な会食の席でおっしゃっておられましたっけ。

というわけで、昨日は不安でした。どうなるんだろうかと。でもその不安は第一楽章の最初の数分で雲散霧消しました。素晴らしい。

とにかくベートヴェンが書いた音符は全て鳴らす。そして聞こえるようにする。最初から最後まで全力投球する。そういった演奏であるように私には思われました。もともと高度な演奏能力を有する都響が、力を振り絞って指揮に応えて、もう大変なことになりました。第一楽章を終わった時点で、凡百の演奏で全曲を聴き終えたくらいのインパクトがありました。

この曲で、日本のオケが到達した最高水準の演奏だったのではないでしょうか。少なくとも機能的な意味で。

私は聴きながらショルティ/シカゴ響を思い出していました。ヴィルトゥオーゾ・オケを手兵に持つと、指揮者たる者、こういうベクトルでの演奏を究めてみたくなるのかな、と。

もの凄い演奏でした。ただ、こういう演奏が私の理想かというと、それは別の話です。私の中ではモントゥー/コンセルトヘボウが「理念型」であり続けています。

矢部さんの凄さ

長年にわたって矢部さんの演奏を聴いて来て、素晴らしい音楽家でいらっしゃることは百も承知であったわけですが、昨夜は私が思っていたより一段も二段も大きな人であったことを知りました。不明を恥じるばかりです。でもこれは嬉しい驚き。

昔の都響は、どちらかというと弦が薄い、アメリカンな音のするオケでした。この40年の間に、様相は一変。私は現時点で日本を代表するオケは都響だと考えています。この飛躍的な進化が可能になったのは、もちろんメンバーひとりひとりの努力と、小林健次さん、ジャービスさん、古澤さん、四方さんといった方々のリードによるわけですが、その中心に、少なくともこの20年ほどの間、おられたのは矢部さんだと思います。

昨日つめかけた聴衆は、そんなことはもちろん全員がわかっていて、終演後惜しみないスタンディング・オベーションで矢部さんの偉業を讃えました。感激して、ちょっと涙が出ました。

余談

私はお弁当についてくるソースとか醤油の小袋を開けるのが苦手です。以前、「こういうの開けるの、ダメなんですよね。」と言いつつ苦闘していたら、矢部さんがひょいと取り上げて、綺麗に開けてくださいました。「僕、これ得意なんですよ。小澤さんにも、僕が開けてあげているんです。」  小澤征爾さんと並ぶことができて、光栄な瞬間でした。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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