後継者選びは、事業承継の難しさの3割程度にしか過ぎない。

事業承継が難しいことは広く世の中で認められています。 しかし、実際のところ何がどのように難しいのかについては、誤解が多いのではと思います。

「ピンとくるような後継者がいない。」という嘆きの声をよく伺います。では敢えて伺いますが、後継者が決まれば事業承継は解決したと言えるのでしょうか?

 

「事業承継って、後継者選びのことじゃないの?」とおっしゃる方は多いのですが、それは大きな誤りです。

後継者選びの難しさは、事業承継全体の難しさの中では比較的小さな割合しか占めていないのです。

ずっと事業承継というテーマにかかわってきた私の直感で申し上げれば、その難しさのうちの30%くらいにすぎません。 逆に言えば、後継者が決まったからといって安心するのはとんでもない間違いです。

では残りの70%の難しさとは何でしょうか。 それは事業承継ステップの設計です。 ここをしっかり詰めておかないと、最悪の場合、いったん退いた経営者が不本意ながらカムバックせざるを得ないという事態を招くのです。

もちろん、カムバックを余儀なくされたケースの中には、後継者の人選ミスだった場合もあるでしょう。 しかし、選考の時点で最適任の後継者を選んでいながら、事業承継プロセスの設計が甘かったために失敗するケースのほうが、圧倒的に多いのだと私は考えております。

実例をあげましょう。 新しい例だと当たり障りがあるかもしれないので、すこし古いですが、日本の経営史上有名な例をひとつ。

ヤマハの川上源一(以下、敬称を略します)は、最近では少し忘れられた感がありますが、戦後の日本を代表する名経営者の一人です。

大前研一さんは『やりたいことは全部やれ』(講談社)の中で、『戦後の経営者の中で誰が一番すごかったか、という質問を受けたら、私は迷わずにヤマハの川上源一さんではないかと答える。 (中略) 創造的破壊力においては、誰をも寄せ付けないくらいに強烈なイノベーターであった』と記しています。

この川上源一が1977年に後継者に指名したのが、当時46歳だった河島博でした。 川上は、「足元が明るいうちにグッドバイ」という名言を残して、社長から退き、世間の喝采を浴びました。

当時のヤマハに於いて、河島博はまさに最適な後継者であったと言えるでしょう。

1966年に 35歳の若さで米国現地法人の上級副社長として渡米した河島は、徹底した現地化戦略を展開し、6年間で売上を10倍に伸ばすという実績を挙げています。

川上に替って社長に就任した後も、如何なく手腕を発揮し、就任3年目の決算では過去最高益を達成しました。 しかし河島は1980年6月、アメリカ出張中に、突然社長を解任されてしまいます。 河島を解任した川上が、再び社長の座に戻ったのです。

この事例、後継者選びについてだけ見れば、満点だったと言えるでしょう。 しかし、事業承継プロセスの設計が甘かったために、失敗してしまったのだと私は断言できます。

では事業承継プロセスの設計とは、具体的に何をどう設計すればよいのでしょうか。 大局的に申し上げますと、それは

1) 承継ステップ
2) (とくに創業経営者の場合には)継承後のプラン

の2つです。 もちろん、具体的かつ詳細な点について、それぞれの会社によって異なるのは言うまでもありません。(そこで最適なプランを設計するのが私の仕事です。)

承継ステップ

いかに後継者が最適な資質を備えている(ように見える)場合でも、いきなりポンと譲るのは無責任です。

引き際の良さと、無思慮とは別ものです。 なぜステップをきちんと設計すべきだと私が考えるのかといえば、ここには2つの理由があります。

ひとつには、後継者側での準備が必要だということです。

野心満々な後継者が準備に専念したとしても、引き渡す側から見れば準備不足であることはいなめません。 それは、その後継者がダメなのではなく、そもそもトップと後継者では視点の高さが全然違うからです。

『社長と副社長との間の距離は、副社長とヒラ社員の距離よりも遠い』というのは宮崎輝(旭化成元会長)の至言ですが、いかに用意周到であったとしても、後継者の立場で考える「準備」は、トップが考える「準備」より浅く、足りないものになります。 ここに、トップが後継者の準備を助ける必要があるのです。

何をどのように準備させるのかを綿密に検討し、後継者に納得させた上でステップに落とし、実行していかなければなりません。

副社長として、かなりな裁量権を持たせた上で役割分担するのか、あるいはCEO-COO体制をとるのか、各論はその会社の事情によって異なります。

ちなみに、引き継ぐ側が創業経営者でなく、サラリーマン経営者である場合、退く気持の方が前面に出てしまって、この点がおろそかになることがよくあるので、注意していただかなければなりません。

継承後のプラン

もうひとつの理由は、引き継ぐ側にも心の準備が必要だということです。 どんなに地位に恬淡とした人であっても、退いていくのは寂しいものです。

この寂しさに慣れるには、どうしてもある程度の時間が要ります。

例えていえば、冷たいプールに入るときに、だんだんと手足を入れて水温に慣れていくのがよいのと同じです。

ステップを設計する上で大事なことは、とくに創業経営者の場合にそうなのですが、どんな場合にカムバックするのかを、期限付きで決めておくことです。

この条件を後継者との間で握ります。 ここでのポイントは、「期限付き」ということです。 私の経験では、3年くらいが妥当です。 期限を定めることで、後継者の覚悟を促すことにもなります。

承継後のプランの設計は、とくに創業経営者の場合に重要です。 事業承継を成功させるために、必要不可欠と言っても過言ではありません。

退いた後に何をするのかを考えるのは、健康な時に、「病気になったらどうするか」を考えるようなもので、なかなかきっちりとは出来ないものです。

とくに創業経営者にとっては、自分の会社が人生そのものであり、自己の分身でもあるわけですから、そこから離れた日常生活など、想像できないのが普通です。 つまり、容易に後回しになってしまいがち、ということです。

しかし、この点を詰めて考えておかないと、日が経つにつれ会社のことが気になって仕方がなくなり、必要もないのに後継者の仕事に口をはさんだり、さらには介入したりすることになって禍根を残すのです。 行きつく先は、老害という、きびしい批判です。

では何をしてすごすのかという話になりますが、ポイントは、自分の会社以外の世界で、適度に忙しく、かつ世の中の役に立ち、御本人にとって達成感がある、ということです。

ゴルフ三昧とか、連日の温泉巡りとかはお勧めしません。 早い人だと3週間もすると飽きてしまいます。 その逆の「晴耕雨読」というのも曲者です。 分秒を争うような生活を(たとえ文句を言いながらであっても)数十年生きていた経営者が、いきなり静かな生活に入るのには無理があります。 下手をすれば体調を崩しかねません。

そもそも、ゴルフ三昧にしても晴耕雨読にしても、それは世の中から見れば、非常にもったいない時間の使い方です。

経営者としてすごされた経験は、とても貴重なものです。 ゼロからスタートされた創業経営者であれば、なおさらです。 この貴重な経験と見識、そして胆力を、後に続く世代の経営者のために使っていただきたいと私は思います。

具体的には、社外取締役、あるいは社外監査役に就任して、時間を使っていただきたいのです。 新しい世界に触れることは刺激になります。 そうすることで、自分の会社を積極的に離れる(ちょっと変な表現ですが)ことができます。 また、新しい世界からの学びを、必要とあれば、自社の後継者に伝授することもできるではありませんか?

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

詳しいプロフィールはこちら