ナンバー2を後継者に選んではいけません。

企業であれ国であれ、ナンバー2と後継者は、本質的に、そして歴然と異なるものです。このことをしっかり御理解いただかないと、事業承継に失敗してしまう可能性が大きくなります。ナンバー2を安直に後継者に指名した結果、とんでもないことになってしまったケースは多々あるのです。

 

ナンバー2とは

まずは言葉の定義から始めましょう。

以下の文章では、ナンバー2とは、「その会社のトップに万一の事態が生じたときに代わって指揮を執る人」といたします。

アメリカの副大統領は、大統領に万一の事があったときに、選挙を経ずに即日大統領に就任することになっていますので、典型的なナンバー2であると考えることができます。

後継者とは

一方で後継者とは、「その会社の事業DNAを継承し、発展させる人」と定義します。

ナンバー2と後継者の違い

どんな会社でも、社員が経営者ひとりである場合を除けば、誰がナンバー2であるかは、きちんと決まっていなければなりません。 たとえ先月創業したばかりの会社でも同じです。 経営者に「万が一」の事態が起こる可能性は、常に存在するからです。

しかし後継者については、『およそ経営者である以上、常に後継者を定めておかなければならない』ということはありません。 スタートしたばかりの会社に於いて、後継者が明確に決まっているということは、むしろ異例と言えるでしょう。

創業経営者の場合、事業が軌道に乗るまでは後継者のことを考える余裕が無いこともあるかと思います。 でも、それはそれで良いのです。 まずはナンバー2さえ、決めてあれば。

後継者については、余裕が出来てきたとき(つまり、承継するに値するだけの事業が展開できた時)に決めればよいのです。(サラリーマン経営者の場合は違います。 念のため)

私が申し上げたいこと

ナンバー2と後継者の定義の違いについて御了解いただいたとして、私が申上げたいのは、次の2点です。

1) ナンバー2を後継者に選んではいけません。

しかし

2) 後継者として育ててきた人物をナンバー2にするのは、むしろお勧めします。

ということです。

ナンバー2を後継者に選んではいけません

とくに創業経営者の場合に典型的なのですが、そこでのナンバー2はトップを補完する役割を担っているものです。

わが国の経営史上もっとも有名なナンバー2は、本田宗一郎に対する藤沢武夫でしょう。 藤沢の片腕であり、のち副社長になった川島喜八郎は、ホンダの50年史の中で、こう述べています。

 

本田さんと藤沢さんは、無二のパートナーであると同時に、お互いを切磋琢磨しあう、ライバル同士でもあった。 『俺の世界は俺に任せろ』、『どうだ、俺のやった世界を見てくれ』と競い合う、素晴らしい名コンビだったのです。

 

藤沢と並んで有名なのは、ソニーの井深大に対する盛田昭夫でしょうか。 その著書(「ソニー」創造への旅〜グラフ社)の中に、井深は二人の相互補完関係について説明しています。

 

長年コンビを組んできた私と盛田君。 ひとつの目的に向かって全力疾走する時、呼吸がぴったりと一致すると、必ずよい成果を生む。 トリニトロンの時も、まさにそうであった。 開発資金などのやり繰りは盛田君、技術開発の担当は私、と役目はキチッと決まっていた。

 

藤沢や盛田は単なるナンバー2というよりも共同経営者というべきではないかと反論される方もおられるかもしれません。

もちろん藤沢や盛田が偉大な経営者であったことに異論はありません。しかし、本田なくして藤沢なく、井深なくして盛田なし、ということを考えると、つきつめてみればナンバー2と言うことができるかと私は考えています。

 

ナンバー2は有力な後継者候補と思われがちだが…

藤沢や盛田のような、スーパーナンバー2でなくても、およそナンバー2である人は、トップの強みも弱みをよくわかっているのが普通です。なにしろナンバー2の大事な仕事は、トップの弱みの部分を補完することですから。

しかも、会社の中ではトップの次のポジションにいるわけですから、ナンバー2こそが後継者の最有力候補であると思うのが普通ですよね。

しかし、それが間違いの元であると、私は申し上げたいのです。理由は3つあります。

 

理由1:ナンバー2はトップの仕事を案外知らない

これは、トップと役割分担している以上、当然といえば当然のことですが、ここで問題なのは、ナンバー2が強いのは、通例、その会社にとって「従」の部分であということです。

その一方で、とくに創業経営者の場合に顕著ですが、トップが強い部分というのは、その会社の「主」(=コア・コンピタンス)の部分です。

ナンバー2は、それ以外の部分に注力することでトップを補完しているわけですから、ナンバー2としての仕事に特化すればするほど、コア・コンピタンス部分からは離れるという皮肉な現象が生じます。

 

理由2: ナンバー2はトップになる準備が出来ていない

ナンバー2はトップのすぐ近くにいながらも、トップになる準備が出来ていないことが多いということがあります。 このこともトップと役割分担していることの、当然の帰結です。

自分がトップだったらどうするかを日々考えるよりも、ナンバー2としての仕事に専念しなければならないからです。

理由3: ナンバー2はトップの重責を軽く考えてしまう

これが一番深刻なのかもしれませんが、ナンバー2はトップの重責を軽く考えがちであるということです。 トップの近くにいて、トップの弱い部分を補佐していると、トップの仕事が実際よりも楽に見えてしまうのです。

かつて旭化成の宮崎輝は、

社長と副社長との間の距離は、副社長とヒラ社員の距離よりも遠い

と喝破しました。 トップとナンバー2の仕事の重荷は、全然違うのですが、そのことは、ナンバー2からはなかなか理解できないのです。

 

ここまで述べてきましたように、ナンバー2は、後継者となるには不適格であることが多いものです。 コア・コンピタンスを良く知らず、マインドの準備ができていないからです。 しかし、にもかかわらず、「自分だったら出来る」と思ってしまいがちなのが、危険なのです。

 

ではどうすべきか?

私は、トップが事業承継する際には、ナンバー2も同時に身を引くべきであると考えています。 トップとともに身を引いて、後継者をサポートする側に回ってもらうのです。

 

ホンダの事例〜ともに身を引いた藤沢健夫

藤沢健夫はそのことを良くわかっていた点で、非常に偉いと言えます。創業25周年の節目にトップとナンバー2が同時に引退して世の中から賞賛を浴びた事は、みなさんが御存知のとおりです。 本田は66歳、藤沢は62歳でした。

本田の後、社長の座を継承した河島喜好は45歳でした。 今でこそ45歳の社長は珍しくなくなりましたが、当時では異例中の異例です。

藤沢としては、自らが社長になり、本田会長、藤沢社長、河島副社長の体制をとり、河島の成長を待つこともできた筈です。 この布陣のほうが、社外から見ると安定感があったかもしれません。

しかし、藤沢はそうしませんでした。 おそらく藤沢は、ホンダの社長は技術に明るくなければならないと考えていたのだと思います。 しかも、藤沢の凄みは、本田宗一郎が引き際について悩んでいるのを察知し、自分が先に引退すると本田に告げ、その引退を促した点にあります。

真に偉大なナンバー2は、ナンバー1の限界を熟知しているということでしょう。 藤沢は、まさに完璧なナンバー2でした。

 

某社の事例〜ナンバー2が後継者に

「ナンバー2を後継者に選んではならない」という原則があてはまるのは、もちろん創業経営者からの承継の場合だけではありません。 某大手メーカーの事例を御紹介しましょう。

その会社は創業以来、ずっと同族経営が続いていました。 今から40年ほど前に、生え抜きの中から一人が頭角を現しました。 彼は創業家に対して脱同族経営を主張、自他ともに認める実績を挙げ、20年後に社長に就任しました。 彼は停滞していた経営を再建し、新しいドメインを確立したのちに病に倒れてしまいます。 その後を引き継いだのは、同期として彼を補佐していたナンバー2でした。

倒れたトップの描いた戦略が優れていたため、同社は発展を続けることができましたが、やがて頭打ちになりました。 元ナンバー2の社長は、大きな事業機会を前にして、決断することができませんでした。

この方は、実際にお会いすると、ずっと総務畑を歩いてこられたにもかかわらず、豪快な印象を与える方でした。 しかし本来は、守りの役割を担ってトップを補佐してきた方です。 果断なようで実は決断力に欠け、そのことが同社にとって仇となりました。

しかも困ったことに、御本人には、御自身にトップとしての資質が欠けているという自覚は少なかったのだと思います。 この方を安直に後継者にし、この方も安易に受けてしまったばかりでなく、ズルズルと続けてしまったことは、大きな間違いであったと言うべきでしょう。

 

後継者を育ててナンバー2にすべき

通常の場合、現在の経営者と後継者の間には少なくとも10歳程度の年齢差があるのが普通です。 創業経営者の場合、その差は20〜30歳であることも珍しくありません。 とすれば、創業経営者がよほど高齢になって初めて後継者を選ぶ場合を除けば、後継者がいきなりナンバー2として経営者を支えることは、非常に考えにくいということになります。

一方、先ほど申し上げましたように、ナンバー2というものは、どのような場合でも存在しなければなりません。 ですので、ナンバー2はナンバー2として重用し、その一方で後継者を育てていくということになります。

ナンバー2は選ぶものであるのに対し、後継者は育てるものです。

後継者を育てるということは、経験を積ませて、見識を高めさせていくということです。 きわめて計画的に、複数のポジションを経験させていくわけですが、その最後のポジションはナンバー2であるのが理想です。

この場合は後継者兼ナンバー2ですから、トップの近くにいて、自分がトップになったときのことを想定しながら、トップを補佐することができます。 また、社内外に対しても、「次」についての明確なメッセージを発信することになります。

後継者兼ナンバー2のポジションは、副社長でもかまいませんし、COOでもよいでしょう。 あるいはトップが会長に上がって、後継者兼ナンバー2が社長というのでも結構です。 このケースでは、従来からのナンバー2がいる場合には、副会長になってもらいます。

 

ナンバー2を「つなぎ」で登板させるべきか

さて、ときどき経営者から受ける質問のひとつに、「トップが退いてナンバー2をつなぎ役として社長にし、そのあとで後継者に承継するのはどうだろうか?」というものがあります。

私はこの案には反対です。 トップが健在である以上、間に人をはさまず、ダイレクトに後継者に承継すべきです。 とくにトップが創業経営者である場合は、そうすべきであると申し上げます。

そもそも後継者を育て、事業承継することはトップの重要な仕事であり、ナンバー2に委ねることは無責任でしょう。 それに、ナンバー2が承継することについて、社内がおさまらないことも多いのです。

このような場合は、トップとナンバー2がそろって身を引き、後継者の後見にまわるべきです。 唯一の例外はトップが病身であり、時間に余裕が無いときで、それはもう仕方がありません。 トップが急逝した場合も同様です。 このような場合には、ナンバー2が昇格して社長を務めることになりますが、あくまでも選挙管理内閣的なものにとどめるべきです。 そのためにも、後継者の育成には、早めに着手すべきです。

 

いわゆる「ナンバー2キラー」について

少し脇道にそれますが、世の中には「ナンバー2キラー」と呼ばれる経営者がいます。 外部からナンバー2を招くのですが、数年が経過すると、また新たにナンバー2を入れる、というような経営者です。

ナンバー2を次々とお払い箱にするのでナンバー2キラーと言われ、非難されるわけです。 しかし、とくに創業経営者の場合、このタイプの経営者をあながち責めることはできないと私は考えております。

もちろん、エゴが強すぎてナンバー2を使いこなせない人もいるのですが、創業経営者の成長にナンバー2がついていけなくなってしまう場合というのも、実は結構あります。 こういった場合にはナンバー2を入れ替えていくのも、やむを得ないと言うべきでしょう。

ただし、後継者キラーとなると話は別です。 それは経営者としては、自殺行為に等しい振る舞いです。 しかし世の中には、なかなか後継者を定めない経営者も多くおられます。

これもまた創業経営者の場合に多いのですが、あたかもご自身が永遠に生きるかのように思われている方も時々お見かけします。 これもまた、本質的には自殺行為なのですが、なかなかお気づきにはなられないようですね。

 

追記: ソニーの事例

ホンダのことはわかったが、ではソニーはどうなんだ? という疑問を抱かれた方もおられますよね。

本田と藤沢が4歳違いであったのに対して、井深と盛田の間には15歳の差がありました。 井深が社長を退いたのは63歳の時ですから、盛田はまだ48歳でした。 盛田は社長に就任しましたが、5年後に社長の座を岩間和夫に譲って会長に退きます。 53歳でした。

盛田が社長を5年で切り上げたのは英断だと思います。ただ、井深のように社業の他の分野(幼児教育など)に注力することはできず、盛田はソニーの経営に関与し続けました。

岩間は、井深が「企画は私、こしらえるのは岩間和夫君、そして盛田君は主として営業担当」と著書の中で述べているほどの優れた技術者でした。

ソニーにとって不幸だったのは、その岩間が6年後の1982年に急逝してしまったことです。 ソニーはこの時点で、岩間の次の経営者の人選を誤ったと私は考えています。

その人選には盛田の意向が強く反映していたという話を聞きますが、真実かどうかは、私は知りません。 ただ、結果として少なくとも成功とは言えなかったのではないでしょうか? つまり、ソニーがソニーでなくなったのは、出井時代に始まったことではないと、私は思っているのです。

「自由闊達にして愉快なる理想工場」の一節が有名な、東京通信工業設立趣意書の「経営方針」には、以下のように書かれています。

 

一、不当なる儲け主義を排し、飽迄内容の充実、実質的な活動に重点を置き徒らに規模の大を追わず
一、経営規模としては寧ろ小なるを望み大経営企業の大経営なるが為に進み得ざる分野に技術の進路と経営活動を期する
(以下略)

 

ここに描かれているのは、今のソニーとは別の会社です。

「世界のソニー」と言ったとき、井深は技術で世界一の会社を夢見ていました。岩間もそうだったのだろうと思います。しかし、盛田は明らかに規模を追ったのではないでしょうか。

「世界のソニー」に夢見るものが違ってしまったと言えます。 岩間の次の社長から、ソニーは創業の理念から離れた道を進むようになってしまいました。

そうなった要因は、創業者であるトップが引いたあと、ナンバー2が影響力を保ち続け、コアコンピタンスを疎かにしたことにあるのではないかと私は思っているのです。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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