年末、遅い時間の電車で乗り合わせたグループは、宴会帰りのオジサンたちと、その中にひとりだけ若い女性。 「〜ちゃん、今日は紅一点だったね!」と盛り上がるなかで、「けど、逆にハーレム状態だと、なんて言うんでしょうね?」と女性が問いかけたら、沈黙が。
オジサンたちの結論は「紅白歌合戦があるくらいだから、「白一点」でよいのでは?」でしたけど、さて、どうでしょうか。
こんなことを知っていても何の役にも立ちませんが、答えは「緑一点」です。
もともと「万緑叢中紅一点」、つまり一面の緑の中に紅の花が一輪、という表現に由来しているからです。
まさにこんな感じですね。
このフレーズには続きがあります。
「動人春色不須多」つまり、「人を動かすに、春色、多くを須(もちい)ず。」
自然の力は偉大で、春が来たと人間を感動させるのに、赤一色を使うだけで済んでいるという意味です。
そう、本来は自然を賛美する詩だったのです。
作者は王安石。11世紀、北宋の政治家です。宰相としてガラガラポンの大改革「王安石の新法」を推進したことで知られています。
性急に改革を急ぐ王安石の姿を見て、ライバルの司馬光は古典を引用してたしなめました。
「治大国若烹小鮮」、「大国を治むるは小鮮を烹(に)るが若(ごと)し」
小さい魚(=鮮)を強火で煮ると、煮崩れてしまいます。なので、最初は弱火でとろとろと煮て、固まったら強火に切り替えるのが定石。大国で急激に改革を進めると小人(しょうじん=今風にいうと、キャパの小さい人)はついてくることができず、大混乱して改革は失敗してしまうと警告したのです。
司馬光が心配したとおり、王安石の改革は失敗。失脚した王安石に代わって宰相となったのは司馬光。旧法派の復活でした。
司馬光が引用したのは老子です。「治大国若烹小鮮」。これは現在の経営改革にもあてはまるところがあります。改革の意義を最初から理解し、共感できるのはせいぜい2割。残りの8割は不安を抱きながら野次馬のように見ているというのが通常でしょう。
最初からガンガン改革を進めるのではなく、弱火で始め、成果が出始めたら一気に加速するのが成功の秘訣、というのが老子大先生の教えです。今も昔も変わりませんね。