「明晰」と「克明」の対比 〜2つの「グレの歌」: 東京・春・音楽祭 2019

シェーンベルクの魅惑的な大作、「グレの歌」。今年はこの大曲の演奏会が、なんと3回も。3月のカンブルラン/読響に続いたのが、昨日の大野和士/都響。この演奏会は今年の「東京・春・音楽祭」のフィナーレでもありました。日曜日の午後、まだ少し桜が残る、上野の東京文化会館へ。

「グレの歌」はシェーンベルク初期の大作。演奏時間は長く(約2時間)、楽器編成も巨大(ステージにようやく乗り切れるくらい)です。カラヤン、ベームあたりの巨匠が手がけることは稀だったのですが、それ以降の主だった指揮者はこぞって録音しています。独特な魅力をたたえた作品と言えるかと思います。(カラヤンは一度だけ、定期演奏会で取り上げています。ベーム、バーンスタインは生涯通じて演奏していないようですね。)

原題は Gurre-Lieder 。Lieder は Lied (歌)の複数形であることからもわかるように、これはオラトリオ的な作品です。複数の登場人物はそれぞれの独白を歌い、掛け合いになることはありません。その意味で、オペラ的な色彩は薄いといえます。

お話の内容

舞台は中世のデンマーク。国王ヴァルデマールは、グレ城の城主の娘トーヴェと愛し合う仲に。ある秋の夜、ヴァルデマール王は馬を疾駆して彼女に会いに行き、二人は陶酔的な愛の時間を過ごします。まるでトリスタンとイゾルデのように。

ところが王妃の差し金によってトーヴェは毒殺され、ヴァルデマールは悲嘆のドン底に。(ここまで第一部)。

ヴァルデマールは怒りのあまり神を冒涜し、その罪により最後の審判まで悪霊として彷徨う定めとなります。(第二部)。

ヴァルデマールとその臣下たちは、夜な夜な墓場から抜け出して狩猟に狂います。近在の農夫は悪霊の進撃に恐れをなして十字を切り、ヴァルデマール王の道連れとなっている道化師クラウスの霊は、自分の運命を呪います。

朝が来て、突然、場面は一転。農夫が夏の嵐の訪れを告げ、音楽は大いなる生命の讃歌を奏でます。(第三部)。

王妃によるトーヴェの毒殺、ヴァルデマールへの神の罰の宣告といった劇的な場面は歌では表現されません。語り手の役割を果たす山鳩は葬列の情景を歌いますが、トーヴェが自らの苦悶を歌うようなことはありません。劇的な要素は全て管弦楽によって表現されるのがこの作品の面白いところです。この役割を担うために、舞台を埋め尽くす巨大なオーケストラが必要であったわけですね。

二つのグレの歌

昨日の大野/都響の演奏は、この作品がワーグナーのものであるかのように、ライトモチーフをくっきり際立たせるものでした。そういう意味では非常にわかりやすい演奏。その反面、精妙な味わいは犠牲になった憾みがあったように私には思われました。

カンブルラン/読響は明晰の極み。明晰なので、自然に見えてくるのです、大野さんが取り分けて見せてくれたものが。私はここにカンブルランの叡智を感じました。

私はシェーンベルクが描く夜が好きです。「浄められた夜」とか、「月に憑かれたピエロ」とか。シェーンベルクの夜は、皓々とした月が照らす、冴え冴えとした夜。カンブルランの演奏は、まさにそういう夜を聴かせてくれました。大野さんの場合は、そういう味わいはありませんでした。少なくとも、私にとっては。

そして第三部の最後の夏の嵐のところ。カンブルランのとき、私はむせかえるような夏草の香りに圧倒されましたが、大野さんの場合は嵐の強さを感じたのみ。ここにも芸の深さの差があったように思います。

第三部の合唱については、これは読響のときの新国立劇場合唱団に圧倒的に軍配が上がります。昨日の東京オペラシンガーズは、ホールのせいもあるのでしょうけれど、音が割れて歌が音だけになってしまっていました。力みがあったのかもしれませんが。

歌手については、双方のヴァルデマール役が声量的に今ひとつだったのは残念なことでした。出色だったのは昨日の山鳩を歌った藤村美穂子さん。深みのある、素晴らしい歌唱でした。

オーケストラに関しては、甲乙つけがたい感じ。でも弦、とくにヴァイオリンは都響が上でしたね。一方、ホルンは読響の方が良い音を出していました。

次の「グレの歌」は、10月のジョナサン・ノット/東京交響楽団。このときも山鳩は藤村さんの予定です。これは楽しみですよね。

ただ、読響の解説が…

ドイツ語のとんでもない誤訳があるのはご愛嬌としても、この曲の内容については誤りがあるように私には思われます。

道化師クラウスの心情が語られた後、ヴァルデマルに最後の審判が下される。王の罪は、トーヴェの愛によって贖われ、その魂は救済された。

という部分は、この作品が下敷きにしているヨハネの黙示録への無理解による誤りですね。

シェーンベルクは道化師クラウスの歌の中で最後の審判に触れる場面では、西欧古典音楽の伝統に従って背後にトロンボーンを吹かせています。しかし、ヴァルデマールの魂の救済の箇所では、トロンボーンは鳴らず、オルガンが清らかな旋律を奏でます。これは神の憐みと恵みを示すものでしょう。そもそも、第三部の夏の嵐のところで「アカザ氏とハタザオ夫人よ」と農夫が歌うのは日常的な夏の場面であって、時系列的に最後の審判の後であることは全くあり得ません。

ましてや、トーヴェの愛による贖罪というのは、「さまよえるオランダ人」に引っ張られた曲解であると思います。たしかにトーヴェはヴァルデマールを愛していましたが、自己犠牲でヴァルデマールの救済を願ったわけではないのですから。

東京・春・音楽祭

昨日の「グレの歌」は、この音楽祭のフィナーレでした。ですので、終演後は東京文化会館のロビーでレセプションが開催されました。その入り口で、実行委員長である鈴木幸一さんにご挨拶することができ、この素晴らしい音楽祭へのお礼を申し上げることができたのは、私にとってとても嬉しいことでした。

ご存知のとおり、鈴木さんはインターネット・イニシアチブ社の創業社長として、日本のインターネットを、その揺籃期からリードされて来た方であり、また稀代の読書家としてもわ私は尊敬申し上げています。鈴木さんは、この10年、億単位の私財を投じて、この音楽祭を運営されてこられたのです。

「いいじゃない、レセプション、お入りなさいよ」とお誘いいただいたのですが、さすがにご遠慮しました。でも、直接にお礼を申し上げることができて、本当によかったと思いました。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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