旧東海道から鯨塚、そして品川へ:街歩きの秘かな愉しみ(4)

国道1号線に沿って旧東海道が部分的に残っていることは、ご存知の方も多いかと思います。私も断片的に歩いたことはあるのですけれど、先日、羽田に降りた後、都内での打ち合わせまでの間に時間があったので、通しで歩いてみようかなと思い立ちました。

自動車が多い1号線を歩くのはちょっと… 旧東海道が1号線と分岐するのは鈴ヶ森刑場跡のところなのですが、正直言ってスタート地点とするのに気持ち良い場所ではありませんよね。ということで、立会川駅で降りて、そこから品川駅まで歩くことにしました。

立会川は坂本龍馬が20歳の時に滞在した土地。というのは、この辺りに土佐藩の屋敷があり、ペリー来航時の沿岸警備に龍馬も動員されていたんですね。龍馬ブームを受けて、駅を降りてすぐのところに銅像があります。これは土佐の桂浜にある有名な銅像のレプリカだそうです。

立会川に沿って100メートルくらい東に歩くと、旧東海道に突き当たります。すぐ右手にあるのが、涙橋。なぜ涙橋かというと、旧東海道をここから南に下ると鈴ヶ森刑場があるわけですが、江戸市中から死刑囚が護送されていく際に、親族とここで別れたことに由来するそうです。

ここから旧東海道を北に上がります。そこで見えてくるのが鮫洲商店街の看板。

江戸時代には、ここは海岸沿いの道でした。今でも海抜は低いですよね。2.9メートルですもの。

もうちょっと歩くと、こんどは青物横丁商店街になります。

変哲の無い、刺激の少ない道を歩いていくと、左手にあるのが大仏ならぬ中仏くらいの仏像。品川寺です。大田道灌が建立した江戸六地蔵の第一番。なんでも、江戸六地蔵のうち、唯一傘をかぶっておられないのがこの像だそうです。

このあたりから、荏原神社の「天王祭」のポスターが目立つようになってきました。私が歩いていたのは天王祭の1週間前。天王祭というのは荏原神社のお祭りです。

荏原神社さんの説明によると、こんなお祭りだそうです。

天王祭は宝治元年6月、京都八坂神社より牛頭天王が当社に勧請されたことに始まります。祭りの最終日に執り行われる御神面を付けた神輿が海中で担がれる「御神面神輿海中渡御」が有名です。「御神面神輿海中渡御」は日曜午前に御神面神輿を船に載せ神社を出発し、お台場海浜公園の浅瀬にて担がれます。

実は祇園祭の親戚なんですね。さらに北に歩くと、「品川宿場通り商会」という看板が。このあたりから品川宿。

天王祭の準備でしょうか。山車が引き出されているようです。

さらに北上して、目黒川を渡ります。ここにかかっているのが品川橋。

目黒川を渡って左に入ると、荏原神社があります。さきほどの天王祭はここのお祭りです。

朱塗りの参宮橋。

社屋も立派です。

さらに進むと北品川商店街に。

ここでも山車が組み立てられていました。

被り物の専門店とは珍しい。

さて、ここで旧東海道から離れて、東に入り、八山通りを渡ったところにあるのが、鯨塚です。寛政年間、江戸湾に迷い込んだ鯨を品川の漁師たちが浅瀬に追い込んで捕獲。江戸中の話題になり、11代将軍の家斉公までが見物に来たとか。その鯨の骨を祀った記念碑が鯨塚です。

丁寧な解説ボードがありました。

記念碑の隣の公園には、ちょっとグロい遊具が…

鯨塚の5メートル後ろには狭い水路がありました。実は、海岸なのですよね、ここは。これだけ狭いと操船は大変でしょうけど。

旧東海道に戻って5分ほど歩くと、開かずの踏切があり、これを渡って山の手線に沿って坂を下ると、品川駅です。いま品川駅がある場所は本来は高輪。なので、京急の北品川駅のさらに北にJRの品川駅があるという、わかりにくい状態が発生しているのですよね。

寄り道したので4キロくらいだったでしょうか。歴史を味わう街歩きでした。

この記事を書いた人

元永 徹司

元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して12周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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