期せずして同時代性を獲得してしまった「1905年」:N響第1921回定期演奏会

「不覊奔放」という言葉を体現するようなマエストロ井上道義。ふと気がつけば、なんと72歳におなりになるとか。月日の経つのは早いものです。私たち、ほぼ一回り下の世代の好楽家にとっては、ミッキー(井上道義さんの愛称)は小澤さん、秋山さんの弟分的な存在として、世界に羽ばたいた指揮者でした。グイ・ド・カンテッリ指揮者コンクールに優勝して、ザルツブルグ・モーツアルテウム管弦楽団を相手にレコードを(この頃、CDはありませんでしたから)作ったり、チェリビダッケに弟子入りしたり、眩しい存在でしたよね。そして時は流れ、フィジカルにも眩しくなられるとともに急速に音楽を深化させているとの評判が高く、私も久しぶりに歌合戦ホールへと赴いた次第です。

曲目は前半がフィリップ・グラスの2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲。後半がショスタコーヴィチの交響曲第11番「1905年」

 

フィリップ・グラス:2人のティンパニストと管弦楽のための協奏的幻想曲

太鼓とグラスというと、「ブリキの太鼓」を思い浮かべてしまいますが、あれはギュンター・グラス。まったく関係ありません。

2人のティンパニストがキッチンを広げて叩きまくるという、音楽的にもビジュアル的にも、とにかく格好良い曲でした。この選曲は大ヒットですね。

ソロは2人のN響首席ティンパニ奏者、植松さんと久保さん。お二人とも、その実力を遺憾なく発揮されて、爽快な名演でした。

植松さんはライナー・ゼーガースの、久保さんはオズヴァルト・フォーグラーの弟子。この二人ともベルリン・フィルの首席ティンパニストだったわけですが、その芸風はかなり異なります。その違いが、弟子である植松さんと久保さんにも引き継がれているように思えて、興味深く聴きました。 このあたりの芸風の違いについては、新日フィルの首席ティンパニストで、フォーグラーの弟子である近藤さんの著書を読まれることをお勧めします。面白いですよ。

 

ショスタコーヴィチ:交響曲第11番「1905年」

井上道義さんは2000年を超えたあたりからショスタコーヴィッチに力を入れておられて、2007年には日比谷公会堂を舞台に全曲演奏&録音を敢行されています。最近ではショスタコはミッキーのオハコとして認知されていますよね。

今日はその中から交響曲第11番。この曲は「血の日曜日事件」に題材を得て作曲されたもの。日露戦争の最中の1905年1月9日の日曜日、皇帝への請願のために平和的にデモをしていたペテルスブルグ市民に対して軍が発砲し、一説では1000名を超える死者を出したという事件です。

今回のプログラムは香港情勢の緊迫化とは関係がないのでしょうけれど、結果的には誰もが香港の民主化運動を念頭に置きながら、この曲に耳を傾けるということになりました。

私にとってこの曲の実演でのベストは2015年3月のアレクサンドル・ラザレフ/日フィルによる演奏。当時の天皇・皇后両陛下が行幸された演奏会でもありました。

今回の演奏は、技術的にはそれを凌駕するものでした。コントラバスを10本に増強したN響の、本気の演奏。やる気になれば日本一だぞ、と誇るような素晴らしい演奏でした。N響をそこまで本気にさせたミッキーも凄いと思います、正直言って。

この高度な演奏技術のN響を駆使してミッキーが描いたのは、実は切れば血が出るような、私的なショスタコーヴィッチ像であったように私には思われました。解説書で「ショスタコーヴィチは僕自身だ!」とミッキーが叫んだと紹介されていますが、まさにその通りかと。バーンスタインのマーラーと同じですね。それはそれで、素晴らしい高みに到達した演奏となりました。今後、ミッキーがショスタコを演奏するとなれば、何をおいても聴きに行かなければ、と思わされました。

その一方で、ラザレフの演奏から切実に漂ってきた「ソヴィエトという時代の感覚」は感じられませんでした。それはそれで仕方ないことで、私たちとしては、むしろ双方の演奏に接することができたことを喜ぶべきであると思います。

 

オケについて

N響、文句の付け所の無い上手さ。フルート神田、オーボエ吉村、クラ伊藤、ファゴット水谷。その気になれば、さすがのN響。コンマスはキュッヒル先生で、ちょっと心配していたのですけれど、曲がショスタコということもあり、指揮者を立てておられたようでした。ヴィーン・フィルだと、5、7番以外はほとんど演奏しないでしょうからね。

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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