上空からの古代史散歩

羽田から伊丹へのフライトをご利用されている方は多いかと思います。正味45分の短いフライトですが、実はこのフライトは日本古代史の名所巡りの旅でもあるのです。古代史マニアである私が、ご案内いたしましょう。

 

羽田を離陸後、高度を上げた飛行機は伊豆半島上空で巡航高度に達します。そして伊勢湾上空に差し掛かったあたりから、徐々に高度を下げ始めます。

 

あと5分ほどでシートベルト着用のサインが点灯いたします。それまでにお手洗いなどのご用のある方は、どうぞお早めにお済ませください。

 

というおなじみのアナウンスが流れます。 そのタイミングで左舷側に遠く見えるのは…

 

伊勢神宮

 

伊勢神宮遠景

ちょっと遠すぎるので社殿と取り巻く森が識別できるくらいですね。この写真の右上のあたりの、森の中の三角形の空き地のように見えるところが内宮の社殿と、その隣の遷宮用のスペースです。

そのあと、飛行機は名張市の上空を通過し、天理市の真上で奈良盆地に入ります。

天気が良い日には、ここで右舷側に東大寺、興福寺、春日大社のエリアを見ることができます。

 

東大寺大仏殿

 

東大寺大仏殿遠景

東大寺大仏殿は上空からもはっきりわかる大きさ

昔から「雲太、和ニ、京三」と言い伝えられてきたのはご存知でしょうか? 古代の巨大な建物の番付です。第一位「雲太」は出雲大社、第二位「和二」は東大寺大仏殿。第三位「京三」は大内裏の大極殿。

大仏殿の右後ろには、二月堂も見えますね。

 

箸墓古墳

 

箸墓古墳

同じタイミングで左舷側に見えるのは箸墓古墳です。写真の中央にある、池の隣にある古墳です。

公式には倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)の古墳ということになっていますが、これが卑弥呼の墓であると主張する人もいます。

その左斜め下に写っているのは崇神天皇陵。崇神天皇は古事記では「はつくにしらししみまきのすめらみこと」と記されていることから、大和朝廷の初代王ではないかという説も有力です。

その1分ほどで左舷側に見えるのが…

 

耳成山

 

耳成山

大和三山の一つです。 こちら側から見て耳成山の向こう側には藤原京跡があります。

実は藤原京の朱雀大路は耳成山の山頂から南に引いた線から135メートルほどずれています。山頂から真南のラインには高松塚古墳が乗ることから、この真南のラインの上に「飛鳥京」があったのではないかという説もあります。

すぐに右舷側から目をこらすと…(小さいので見えにくいのですが)

 

法起寺

 

法起寺

法隆寺の北東、歩いて15分くらいのところに位置する、聖徳太子建立と伝えられるお寺です。古代には岡本寺と呼ばれていました。三重の塔が見えますね。

5秒後に目に入ってくるのは

 

法隆寺

 

法隆寺

これは天気が良ければ必ず見えます。この写真では切れてしまっていますが、夢殿や、西側に位置する藤ノ木古墳もしっかり確認することができます。壮大な大寺院の風格十分。

法隆寺の前を東から西へと流れているのは

 

大和川

 

大和川

古代、大和盆地への正面玄関は、この大和川でした。

遣隋使に対する答礼使として来日した裴世清は、難波の津で小舟に乗り換え、ここを通って飛鳥へと向かったのです。写真は大和川を遡航する際に難所と言われていた亀が瀬のあたりです。

飛行機は奈良盆地を出て、伊丹空港へ向けて45度ほど右に転進しますが、そのときに真下に見えるのが…

 

高安の城

 

高安の城

「たかやすのき」と読みます。今は信貴山と呼ばれているこのあたりには、大和朝廷が築いた要塞がありました。確かに、ここからだと大阪平野(そのほとんどは海でした)を一望することができます。

ここを戦略拠点として重視したのは天智天皇。白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した後、唐の侵攻を恐れて九州に水城を作ったことはよく知られていますが、この高安の城は最終防衛ラインであったわけです。

飛行機は伊丹空港に向けてどんどん高度を下げていくのですが、大阪城にさしかかる直前の左舷側で目に入るのは…

 

難波宮跡

 

難波の宮

中央に見えている空き地に見えるところが孝徳天皇の難波宮跡です。孝徳天皇は奈良盆地から難波へと遷都し、大化の改新は、ここでスタートしたということになっています。

そのあとすぐに同じく左側に見えてくるのは…

 

難波の津跡

 

難波の津

現在の京阪電鉄の天満橋駅のあたりが、当時の日本のゲートウェイポートでした。

大和川は今はまっすぐ堺へ向けて流れ下りますが、それは豊臣秀吉の大工事によるもの。古代は亀が瀬を抜けたあと生駒山系に沿って北上し、この難波の津で大阪湾に注いでいたのです。

遣隋使、遣唐使が出港したのは、この港です。 いまは大川沿いに記念碑があります。

このあと2〜3分で伊丹空港に着陸です。お疲れさまでした。

 

ところで、古代史に詳しい方は「なんで三輪山の写真がないの?」とおっしゃられるかもしれませんね。

三輪山は耳成山のように独立した山ではないので、上空からの写真だとわかりにくいんですよね。

ですので、日本最古のマーケットであった海石榴市(つばいち)から見上げた三輪山の写真を載せておきます。

 

三輪山

三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ)から東に向けてラインを引くと、伊勢神宮に正確に当たります。 本来の大和朝廷の祖神であった太陽神が祀られているのが三輪山。というか、山自体がご神体です。

祖神は男性神であったのですが、持統天皇から孫である文武天皇への皇位継承を正当化するために藤原不比等によって天孫降臨神話が作られ、その過程で太陽神はアマテラス大神として女性神とされることになりました。女性神であるのに、処女である斎宮が仕えていたのは、そのあたりの事情を物語っているのです。まあ、諸説あり(笑)ですけれど。

この記事を書いた人

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元永 徹司

ファミリービジネスの経営を専門とするコンサルタント。ボストン・コンサルティング・グループに在籍していたころから強い関心を抱いていた「事業承継」をライフワークと定め、株式会社イクティスを開業して17周年を迎えました。一般社団法人ファミリービジネス研究所の代表理事でもあります。

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