6月25日、はじめて音羽の「鳩山御殿」を訪れました。渡邊暁雄先生の生誕100周年写真・資料展の初日だったのです。
私は音楽教育を受けたわけでもなく、ましてや直接に教えていただいたわけでは無いのですが、「渡邊暁雄先生」とお呼びすることにしています。シベリウスと、そしてマーラーを、実演に接して教えていただいたと感じ、感謝しているからです。同じ理由で「朝比奈先生」。やはり私にとってのブルックナー体験の基礎は朝比奈先生にあるので。私が「先生」をつける指揮者は、このお二人だけですかね。
さて鳩山御殿。急な坂の上にあるということは文献で知っていたのですけれど、実際に行ってみるとかなり急な坂でした。森鴎外の小説に出てくる「鼠坂」はこのすぐ近くです。入り口の門には鳩山家の紋章が。
坂を登りきったところに鳩山一郎の邸宅であった「鳩山御殿」があり、その2階の1室で展覧会が開かれていました。なぜ鳩山御殿かというと、渡邊暁雄先生の奥様は鳩山一郎の末娘。宣教師の息子であった渡邊先生がジュリアードに留学することができたのは、娘婿の才能をバックアップした鳩山一郎の存在があったのです。
とても立派な30ページ強のパンフレット。展示内容は、演奏記録を除いてほぼ網羅されている感がありますね。
海外オケへの客演記録が圧巻でした。ベルリン・フィルに2回以上招かれている日本人指揮者は、小澤征爾さんと渡邊先生だけなんですね。
パンフレットには著名な音楽関係の方々の追想が寄せられているのですが、池辺晋一郎さんがお書きになっているものがとても良いので、ご紹介しますね。(池辺先生、ごめんなさい。あ、「先生」をつけてますね。ダジャレの先生かな。)
東京芸大作曲科の学生時代、4年間のうち3年「副科」で暁雄先生に指揮を学んだ。のみならず、同級の指揮科の友=故・佐藤功太郎のレッスンのピアニストだったから、専科における暁雄先生も知っていた。
「コウタ君、そこはピアニッシモで始まるから、音を吸い出すように振ってごらん。すると弦がやや不揃いで開始する。それがとても良いフェイド・インの感じになるよ」と先生。
チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」の第三楽章だ。コウタ、そのように振る。と、僕はどこで弾き始めればいいのか… でも、とにかく弾く。すると、「もっとフワッと。」
「先生、これ、ピアノなのでフワッとはいかないんですが」と僕。「あ、そうだったね」 アケ先生の頭の中では弦が鳴っていたのだ。
常に静かな品位に満ちて優しく、人間としてどうあらねばならぬかを、音楽を通して教えてくださった。アケ先生に出会えた幸せを、あらためて噛みしめている。
アケ先生のお母様についての展示もあったのですが、そこには無くて残念であったものがひとつ。それは、日本ではじめてのフィン語の学習書である「フィンランド語4週間」です。(本来は「フィン語」というのですが、日本では馴染みがないので、「フィンランド語」となっています。)私が大学4年生でフィン語をひとりで学び始めたとき、日本語の学習書はこれ一冊だけでした。
そのはしがきに、こうあるのです。
何かと教えていただいたりお世話になったりした今は亡きシーリ・渡邊夫人の霊にこの拙い書を捧げる。
そう、アケ先生のお母様です。