「日本一」とか「世界水準」とか軽々しく言うことをいつもは避けているのですが、今宵のノット/東響は凄かった。このあいだの「晴れオケ」もそう。こんな演奏に接することができるというのは、人生の幸せのひとつであると大袈裟ではなく思います。
いま東京で聴き逃すべきではないオーケストラ・コンサートというと、ジョナサン・ノット/東響、アラン・ギルバートまたはエリアフ・インバル/都響といったあたりに指を屈する感がありますよね。(私は日フィルを支援していますので、これにラザレフ/日フィルを加えたい。一方、パーヴォ/N響は個人的に好みではなく…)土曜日はそのジョナサン・ノットが組んだ、挑戦的なプログラムでした。
前半はヨハン・シュトラウスII世の「芸術家の生涯」と、リゲティのレクイエム。後半はトマス・タリスの「スペム・イン・アリウム」、そしてリヒャルト・シュトラウスの「死と浄化」。かなり凝ったプログラムですよね。
ヨハン・シュトラウスII世:「芸術家の生涯」
『近年は「芸術家の生活」と表記されることも多い』と解説にありますが、原語では “Künstlerleben” であることと、曲想を考え併せると、「生涯」ではなくて「生活」が正解でしょうね。
馥郁とした、良い演奏でした。ジョナサン・ノット、いつの日かウィーンのニューイヤーコンサートに招かれるかもしれませんね。
リゲティ:レクイエム
おそろしいまでの緊迫感を伴う難曲。とりわけ合唱にとっては至難の曲かと思われるのですが、東響コーラスの歌唱は水際立ったものでした。アマチュアであるとは、とても信じられません。
伝統的なレクイエムとは異なり、抜粋のような感じで、入祭唱、キリエ、審判の日、ラクリモーサの4曲から構成されています。冒頭の Requiem aeternam のところはトロンボーン2本の極限のピアニシモ。かと思うと、大音響の合唱が入ってきたりして、聴き手も多大な緊張を強いられます。
私はこの曲を聴きながら、以前に訪れたことのあるエルサレムのバット・ヤシェム(通称、「ホロコースト記念館」)のエントランスの景色を突然思い出しました。あとで解説を読んだら、作曲者リゲティの家族と親戚はホロコーストで大半が殺害されたとのこと。とても不思議な感覚だったのですが、あれは一体なんだったんだろう。もしかすると、訪れていたときにこのレクイエムが流されていたのかもしれませんが…
トマス・タリス:「スペム・イン・アリウム」
これは16世紀に作曲された合唱だけの曲で、40声部のモテット。124人の合唱が、40のパートに分かれて歌います。歌唱の難しさから判断するに、ふつうの教会ではなく、修道院のようなところで歌われたのではないかと思います。
ものすごく精密に織られたタペストリーのような作品。ここでも東響コーラスは卓越した歌唱を披露してくれました。どれだけ練習されたのでしょうかね。もう圧倒的でした。
リヒャルト・シュトラウス:「死と浄化」
この曲も昔は「死と変容」と呼ばれていましたね。Verklärung を「変容」と訳すにはキリスト教的な背景があるのですけれど、シュトラウスはそんなに敬虔な人ではなかったので、これも単純に「浄化」と訳すのが良いかと思います。
この曲も名演は、なんといってもカラヤン/ベルリン・フィル。この演奏が一頭地を抜いている感があるのですけれど、ノット/東響の演奏も違うベクトルで、しかし非常な高みある名演でした。この演奏を聴いて、「世界水準」という言葉が脳裏に浮かんだのです。
オケについて
この10年での東響の躍進というか飛躍はすごいですね。スダーンを常任に招いての研鑽と、ちょうど管楽器の首席クラスの世代交代が重なったことが奏功したかと思います。この日の木管はフルート相澤、オーボエ荒木、ファゴット福士、クラはヌヴーという東響のベストメンバーであったわけですが、アンサンブルの緻密さは半端ではありませんでした。このオケ、さらに伸びて行きそうですね。