主席客演指揮者、アラン=タケシ・ギルバートと都響との今年最後の演奏会。ここ数年、手を取り合って高みに登っていく感のあるこのコンビが選んだのはマーラーの交響曲第6番。大阪から急いで帰京し、サントリー・ホールへ。聴衆は圧倒的に男性比率が高く、開演前のトイレは長蛇の列。あの「ブルックナー・トイレ」のようでした。
私がこの曲を初めて実演で聴いたのは1981年のことでした。オケは奇しくも都響。指揮はガリー・ベルティーニで、この時が初来日であったと記憶しています。
38年前の演奏
マーラーの交響曲はこのころようやく日本のオケで取り上げられるようになっていたものの、多くの場合は1番か5番で、6番は珍しかった。都響にとっても2度目であったはずです。(都響にとっての初演は渡邉暁雄先生。私はこの演奏には間に合っていません。)
当時私はこの曲のレコード(!)を持っていなくて、エアチェックしたテープで予習して聴きに行きました。柴田南雄先生の名著「グスタフ・マーラー」が出版されたのは、これから3年後でしたので、まあ予備知識無しに等しい状況で東京文化会館へと赴いたのです。
このときは前半にモーツアルトのファゴット協奏曲が演奏されました。ソリストは都響の首席であった中川良平さん。中川さんはサンフランシスコ交響楽団の首席ファゴット奏者だったのですが、「指導楽員」という肩書きで都響に招聘されていたのです。
中川さんは圧倒的に上手くて、いろいろと遊びたいのに、ベルティーニは厳格に振っていました。とくに第3楽章の三拍子を機械的とも思えるくらいにキッチリと振っていて、快活さは皆無。聴いていて違和感があったのを覚えています。
そのあとのマーラーの6番には、とにかく度肝を抜かれました。こんな峻烈な音楽がこの世にあるのかと。第1楽章の冒頭部などは、ベルティーニがまさに都響を叱咤して行軍させるような印象でした。美しさよりも厳しさが前面に出たような演奏で、強烈な水墨画のようだなと思ったことを記憶しています。第4楽章で話には聞いていたハンマーが炸裂した時には、うーむ、こんなことやっていいのか、と当惑しました。
そして、昨夜
あれから38年。比較にならないくらい巧くなった都響は、相性抜群のアラン=タケシのタクトの下で、現在の日本で望みうる最高水準の演奏を聴かせてくれました。
まあとにかく弦が凄い。うねるんですよね。矢部コンマスの率いるヴァイオリンが、天に昇ったり、雲を切り裂いたり、虹をかけてみせたり。ヴィオラもコントラバスもそれに応えて凄い。運動性に優れたコントラバス群というのは、実に効果的に響くのですね。感服しました。
このあいだのメータ/ベルリン・フィルで私たちは世界最高峰の弦を聴いたわけですが、日本のオケであそこに一番近いのは都響でしょうね、きっと。
木管楽器群も素晴らしい演奏。要所々でオーボエ首席、広田さんのソロがビシッと決まります。各首席奏者の高度なソロだけでなく、アンサンブルも凄い。セクション全体で歌うというのは、たいへんなことです。ブラーヴィ。あと見事だったのは本気のベルアップ。譜面を見ながらだとちょっとベルを上げるだけになるのですが、今回は本当にベルアップでした。こうなるとその部分は暗譜しないといけません。ここまでやるのは、めったにないことです。(私はファゴットなので、そもそもベルアップ自体の経験がないのですが…)
金管も、トランペット、トロンボーンは出色の出来栄え。ホルンは聴き手をハラハラさせるところもあったのですが、大きな破綻なくお見事でした。
打楽器も大活躍。あのハンマー(2回ではなく3回!)は文字通り渾身の一撃でした。
ブラヴォー! タケシ!
そして、なんといっても素晴らしかったのは、アラン=タケシ・ギルバートの指揮。先だってのジョナサン・ノットもそうだったのですが、いたずらに分析的に聴かせるのではなく、鳴らしきった上で必要なパートが過不足なく聴こえるようにするという、きわめて高度な指揮でした。
昨夜の演奏の白眉は、第4楽章でした。私は「悪夢」を音楽的に表現すると、この楽章になるのではないかと個人的に思っているのですが、本当に恐ろしい音楽が提示されました。この曲に関して、これほど色彩豊かな演奏を、私は未だ嘗て聴いたことがありません。そして、豊饒であるがゆえに、この曲の苛烈さがエグいくらいに際立つことに、正直、戦慄しました。
タケシ、52歳。すでに巨匠と言ってよいかと思います。
彼の音楽だけでなく、彼自身も年々大きくなっているので、健康に気をつけてもらいたいと老婆心ながら思いました。